我が担任はちょっと変わっている。
持ち合わせるのはながぁーい指とサラッサラの黒髪と
おっきなおっきな瞳。
背はそんなに高くはないんだけど。
ちょうど見上げた先の定位置が
逆にドキリと心臓を揺るがす確信犯。
クールを気取っているようで天然。
優しいと思えば気分屋。
まぁ簡単に言えば
そこいらのアイドルなんか蹴散らしちゃうような
とんでもない美貌の持ち主だったりする。
殺虫剤教師の必勝祈願
午後12時10分。
4限目終了まであと20分。
私は手に持つ分厚い参考書から顔を上げると
大きく両手を上げて伸びをする。
「んーっ」
太陽の光が眩しい。
今日もいい天気だ。
「なに、気持ちよさそうに伸びしてんの。」
…と、そこに小さな邪魔者が。
見ると、伸びをした私の右手を掴むもう1つの右手が
窓の向こうからにょっきりと姿を現している。
「あれれ。バレてた?」
悪びれる様子もなく舌を出した私が居るのはベランダで。
邪魔者の正体が居るのは教室の中で。
窓の向こうではズラリと並んだ机に座り
見事に針と糸を手なずけることに成功してしまった生徒たち。
嗚呼なんて哀れなの。
「当たり前。クラスで一番の生意気者がいないことくらい
すぐに気づきます。」
「貴重な意見者と呼んでちょうだい。」
「その貴重な意見者が意見も言わずにここで何を?」
「私がいない方が
授業がスムーズに進むかと思って遠慮してたところ。」
私の言葉に邪魔者は「よく言うよ」と
鼻で笑いながら掴んだ手を離すと。
窓枠に頬杖をつき、ほぅ…と小さく息をこぼした。
それからしばらくの沈黙が流れて。
心地よい初秋の風に身を任せると、そこに漂うのは哀愁の香り。
なんて言うのは冗談で。
実際は準備の整った学食から運ばれる匂いに
腹の虫が待ちきれないと愚痴をこぼした音だった。
「花の女子高生が発する音じゃぁないな。」
「花の女子高生の秘密をちゃっかりGETしないでよ。」
「私じゃなくて、こんな匂い漂わせる
食堂のおばちゃんが悪いのよ、ってか?」
得意気な表情を作る二枚目に、
そのとおり!と掲げた右手の親指を立てる。
柊の思考が完全に読めるようになりゃ
怖いもんなしだな。と頭上を通過していく
どこか遠慮がちな独り言。
…あ。
ちなみに柊(ひいらぎ)っていうのは私の苗字です。
「私の心理当てるのはいいけどさー、
先生こんなとこでサボッてていいの?」
ここでようやく明かされる邪魔者の正体。
それは只今進行中である4限目の先生である。
そして何を隠そう私の担任だったりするわけで。
「へぇ、驚いた。」
「驚く?何に?」
「いや、一応俺のこと先生って分かってたんだなーと思って。」
「何をいまさら。」
「だって全然敬語とか使わないし。平気で授業サボるし。
出欠のとき名前呼んでも時々シカトするし。」
「………そういえば。そうだね。」
またしても悪びれずにそう言った私に
先生はくくくっと喉を鳴らして小さく笑う。
崩した顔さえも美しい、何とも腹の立つ美貌の向こうで
裁縫なんぞさせられている哀れな生徒の1人がせんせーと
甲高い声で彼を呼ぶのが聞こえたけれど。
「…行かないの?」
「うん。だってどうせ大した用事じゃないっぽいし。」
「何それ。かわいそー。先生だって私のこと言えないじゃん。」
「何がだよ。」
「時々シカトするところ。」
「…確かに。」
4限目は家庭科の授業だった。
40人弱の生徒たちは揃って針を手に持ち
この50分をひたすら布を縫うことに費やす。
私はもっぱら戦線離脱。
出欠だけをそそくさと済ませると先生が黒板に向っているうちに
こうしてベランダへと身を潜ませて30分が経過したところ。
「先生って何で家庭科の先生なの?」
「え?だめ?」
「ダメじゃないけど、
だって若い男の先生が家庭科教えるなんて変わってるじゃん。」
「変わってるってかキモイっしょ?ぶっちゃけ。」
「えー、うん。」
しっかりと頷いた私に「ハッキリ言ってくれるよなー」と
苦笑する先生。
だって25前で、しかも二枚目な男の先生が家庭科だなんて。
ちょっと、ねぇ?
普通は世界史とか英語とかさ。数学とか。
そっちが定番かなーなんて。思ったりして。
「まぁ言っちゃえばソレが狙いっつーかさ。」
「はぁ?何それ。」
「キモがられれば余計な虫が寄ってこなくなんじゃん。」
「…あー、そういうこと。」
つまりは女が群がってくるのがウザイと。
家庭科の教師になってキモがられれば、
少しは、たかる虫も減るんじゃないかと。
そういうこと。
「すんげー自意識過剰だね。」
滅茶苦茶な言い分に納得しちゃう自分が悔しいけど。
「そんなこと言ってられんのも今のうちじゃない?」
「そっかな?」
「歳取ってから絶対後悔するよ。
世界史にしとけば良かったーって。」
「何で世界史なんだよ。」
「や、なんとなくイメージ的に。」
「ははっ。何だそれ。」
見上げた先生はやっぱりさっきまでと同じ、
頬杖をついた姿勢のままで。
少し冷たくなった秋風に髪を揺らしながら
大きな瞳を細めて可笑しそうに笑っている。
その瞳に映る太陽がキラキラと反射して。
あんまりにも眩しいもんだから。
私は何だか
すっかり先生のペースにハマッていることに今更気づいて。
膝の上に置いた参考書を閉じると
その拍子にこぼれた空気が
ふわりと私の前髪を押し上げる。
「ま、いんじゃない。」
「何が?」
「俺みたいなキモイ教師にたかる虫も中にはいるってこと。」
「うわー、出たよ自意識過剰。もういいって。」
「ははっ。
まぁ柊は殺虫剤まかれても、ちゃんと俺んとこ来いよ。」
「…え?」
「ほら。」
ぺしっ。
軽く音がして、額に何か柔らかいのとチクチクした感触が触れる。
驚いて伸ばした掌にすっぱり収まったのは
淡いグリーンのフェルト生地で。
「…なにこれ。」
「お守り。そのすっからかんな頭に奇跡が起きますよーにって。」
「んなっ!?余計なお世話だよっ」
私が声を張り上げたのとほぼ同時に鳴り響く終業呼鈴。
寒さに向かって乾きはじめた空気に乗ってどこまでも響いていく。
先生は「午後はサボるなよ」と言い残し教卓へと戻っていった。
生徒たちが礼した一瞬の隙をついて送られた笑顔は
紛れもなく私に対してのもので。
その気まぐれは罪。
立ち上がった拍子に膝から滑り落ちた参考書を拾い上げ
私はベランダからダッシュで逃げ去る。
遠くであの喉を鳴らす笑い声が聞こえた気がしたけれど、
それ以上に自分の鼓動が大きくて
私は手に持ったフェルトを握りしめた。
果たして受験のお守りは殺虫剤にも効果があるのだろうか。
その疑問の答えは、きっと合格の向こうに待っている。
end。。。
2005/09/23