「ねぇ、やっぱりしなきゃダメ?」

「だめだよ。僕の言うこと聞くって約束したでしょ?」

「怖いよ。痛いって言うし。」

「絶対痛いとは限らないよ。人によるから。」

「でも…私はきっと痛い気がする。
 だって絶対上手に入りっこないもん。」

「そんなのやってみなきゃ分からないよ。
 ほら、行こう?」


そう言って私の手を引いた彼は
分厚いガラスで出来た扉に手をかけた。



LOVE TEACHER



「もぉーどうして出来ないのっ?」


昼下がり。とあるファミレス。
トイレの前にある隅っこの席は、
目の前に座ってプリプリ怒ってらっしゃるこの方のお気に入り。
壁に囲まれたどこか閉鎖的な雰囲気と
窓から降り注ぐ健康的な光が、
落ち着いて穏やかに会話が出来るから…だそう。

けれども最近私たちがこの席で、穏やかな会話に花を咲かせた記憶はない。
ドリンクバーが大好きで、メロンソーダが大好きで
19歳には不相応なファニーフェイスを持つ彼は、
現在進行形で見れば分かるとおり、会うたびこうして眉間に皺を寄せている。

…が。精一杯の主張で「怒っている」らしい彼を見て
その心情を察するのはとても難しいと人は言う。
だってツンと尖らせた唇でストローを噛む仕草は
どう見ても拗ねてるようにしか見えないからだそうだ。

何を隠そう私もその1人だったりするのだけれど。


「だって仕方ないじゃない。怖かったんだもん。」

「僕恥かいちゃったよ。あんな意気込んで連れてったのにさ。」

「だからそれは悪いと思ってるよ。本当ゴメンってば。」

「謝るんだったら大人しく僕の言うこと聞いてよ。
 もうメガネは卒業するって約束したのに!」


テーブルの上にはメニューとグラスと
様々なパンフレットが散らばっていた。
そこにはすべて「コンタクト」の文字。

彼に連れられて、半ば強制的に眼科に行ったものの、
いざとなって怖じ気づいた私は人並み溢れるアスファルトに逃げ出した。
…けれど、あっさり追いかけてきた駿足に捕まり
こうして向かい合ったまま説教をされている休日の午後。

どうして彼氏でもない男に
休日返上してまで説教されなければならないのか。
それは運悪く本日新人歓迎会が行われてしまったから。

新人歓迎会と言えば仕事帰りに居酒屋でビール。
それが定番だと思う。
けれど、何故かウチの会社は社長が根っからのアウトドア派。
そのためこんな日曜の午後から引っ張り出されて
バーベキューなんかをしてきた帰りなのだ。

太陽の降り注ぐ芝生の上で
美味しそうな肉や野菜の焼ける音。匂い。
そこまではいいけれど、身に纏っているのがスーツだとどこか不格好。
おまけに動きづらいし、安物のブラウスは汗を吸い取ってくれない。
ストッキングにパンプスでバーベキューは本当に拷問だった。

かと言ってこの春から入社したピカピカの新人は
愛想笑いが大事な仕事。
お開きになった頃には、
無理矢理貼り付けた笑顔も剥がれかけていた。

早く帰りたい!
そんな想いで鞄を手に取った私の肩に置かれた手。
振り向くと、煙で曇ったメガネの向こう側に満面の笑み。

そうして、今に至る。


「そりゃしたけど…でもやっぱり痛そうで怖いんだもん。」

「いつまでもそんなんでどうするの。
 ハルカちゃん本気で彼氏作る気ある?」

「あ、あるある!あるに決まってんじゃん!」

「もう僕知らないよっ?
 せっかくコンタクトのが印象いいからってアドバイスしたのにっ」


もともと色素の薄い栗毛色の髪は猫っ毛で直毛。
ふわふわサラサラしている所から言って、ワックス類はつけていないらしい。
ビー玉みたいなブラウンの瞳はパッチリ二重。
白い肌に白い歯。華奢な体つき。
パリッとした白いワイシャツに、淡いブルーの爽やかなネクタイ。
言葉使いは丁寧で、一人称はイマドキ珍しい「僕」。
彼を現す言葉は、外見を見ても中身を見ても「可愛らしい」。
そんな19歳の歴とした日本男児は私の


「ごめんってば。そんなこと言わないでよセンセェ〜」


私の、センセイだ。


「お待たせいたしました。ストロベリーパフェと
 うどんセットになります。」

「あ、来た来た美味しそー!」


タイミングが良いのか悪いのか、
ひょっこりと姿を現したウエイトレスによって登場したパフェ。
それは私の大好物!と言いたい所だけど私は甘いモノが嫌い。
目をキラッキラさせているのはセンセイの方で
私はというと、うどんセットの匂いにお腹の虫が騒ぎ出す。
どうやら身体の機能まで、色気の欠片も持ち合わせてはいないらしい。


「いただきまーす!」


コロっと機嫌が直るのは、甘いモノ好きの特権。
だって大好きなコーヒーを飲んだところで
悲しい気持ちや苛立つ気持ちがすっ飛んでったことなんて
私にはないから。
まぁ多少感情の波が収ったかな?くらいは感じるけどね。

ところで、苛立つ気持ちと一緒に私の存在まで
どこかに飛ばしてしまったらしい、イチゴを頬張る笑顔の主。
彼と私は同い年だ。
では何故彼が私のセンセイなのか。
それには深い、けれどとっても簡単な理由があるのです。

さかのぼること1週間前。
同じオフィスで働くセンセイと私は休み時間、何気なく恋バナをしていた。
年頃の青少年にはよくある話。知り合ったばかりとなれば尚更だ。
どんな人がタイプ?とか今まで何人と付き合った?とか、
互いに興味本位で質問をぶつけては騒ぐ。そんないつものノリ。

…が、その日彼はいつもの可愛こぶったような
けれど本当に可愛いから憎めないあの口調で
さらりととんでもないことを言ってのけた。
「付き合った人数?んー…だいたい20人くらいかな。」

え、えええええええーっ!

自慢じゃないけれど、私はコイビトいない歴堂々19年だ。
男女共に友達は多い。好きな人だってそれなりに出来る。
けれど、この19年私は一度だって友達以上に進展したことなんてない。
それなのに、目の前で笑うこの可愛いとしか言いようのない存在は
既に元カノ20人?
あ、ありえないっ!

思わず「恋人って男の人じゃないよね?」と聞いてしまった私と
センセイはその日丸々口を利いてくれなかったけれど。
懲りない私は必死で謝り、ついでとばかりに弟子入りさせて欲しいと申し出た。
だって短い青春時代をこのまま終わらせるのは絶対に嫌だったから。
私だって恋がしたい。キスもしたい。色々したい。
その瞬間から、ただの同僚だった彼は「恋の個人指導者」になったのです。


「まずはメガネをやめること!
 男女の出会いは第一印象が大事なんだよ?」


ビシッと人差し指を立てながら、センセイはキッパリハッキリと言い切る。
真っ直ぐな瞳と率直な言葉に圧倒的な経験談。
それらを目の当たりにしてもイマイチ説得力に欠けるのは
きっとその右手に握られたスプーンのせい。


「別に私はヒトメボレとかを求めてるわけじゃないもん。
 もっと自然な流れで恋したいっていうかさぁ。」

「そんなこと言ってられる状況じゃないでしょ。
 今更知り合いに恋出来るの?心当たりでもいるの?」

「うっ…」


ハッキリ言いましょう。
現在私の周りにいる男に恋する可能性…それはゼロ!!
入ったばかりの会社にはおっさんばかりで
若い男と言ったらセンセイくらいしかいないし。
学生時代の男友達なんて既に兄妹状態で、
トキメキなんて、とうの昔に通り過ぎてしまった。

自分でも分かっているのよ。
でも、でもね。
やっぱり理想を言えば身近な存在を自然に好きになって…
みたいなことに憧れるのよ。
そう言うとセンセイは決まってバカにするけど。


「ハルカちゃんは夢見すぎだよ。」


ほらね。ヒドイでしょう?
確かに夢見る夢子なのは自分でも認めてる。
けど、仕方ないじゃない。
彼氏いない歴19年の私にだって、夢見る権利くらい頂戴よ。
こんな気持ち、20人もの乙女をたぶらかしてきた(?)センセイには
絶対ゼッタイぜーったいに分かりっこない。


「ところでハルカちゃん宿題は進んでる?」

「…えっ?あ、宿題?」


宿題。
いつ聞いても何だか嫌な気分になる言葉。
指導者というくらいだから、勿論宿題だってあるし
まだ受けてはいないけど、テストまであるらしい。
弟子にしてくれと言い出したのはあたしだけどさ
何だか予想外に本格的なセンセイの態度にこっそり溜息。


「一応頑張ってはいるけど、そう簡単には出来ないよ。」

「まぁ期限まであと3週間あるしね。ハルカちゃんなら大丈夫だよ。」


期限は一ヶ月後。それまでに好きな人を作る。
それが一週間前にセンセイから出された「宿題」だ。
期限を守らなければ当然ペナルティ。
天使みたいな顔して悪魔みたいなことを言う。
それがこの一週間で知ったセンセイの裏の顔。


「そう簡単に言ったってさー。
 好きな人なんて作ろうと思って作れるか分かんないよ。」

「分かんないじゃなくて、やるの。
 だって宿題なんだから。」


にっこり。
ホラ出た。必殺天使の微笑み。
分かってる、分かってるけど可愛いのよ。
その笑顔を見るとつい頷きたくなっちゃう。


「…分かったよ。頑張るよ〜」


人間は天使に適わない。
項垂れた脳裏にそんな言葉が過ぎていく。
手に持った割り箸がパキリと綺麗に半分で分かれた。


「あ、ラッキー!両思い。」

「ハルカちゃん、何それ?」

「センセイ知らないの?割り箸が綺麗に丁度半分に割れたら
 好きな人と両思いになれるっていうジンクス。」

「えーっ?そうなの?初めて知った!
 よしっ、今度僕もやってみよう!」


こんな可愛いとしか言えないセンセイに
どうして20人の元カノたちは「男」として惹かれたのだろう。
無邪気にはしゃぐ姿を見て
うどんをすすりながら、ちょっとだけ真面目に考えてみる。

だってセンセイって、
会社でもどちらかと言うと女の子みたいに扱われているし。
ファンは多いけど、みんな可愛い可愛いって騒ぐだけだし。
そういえば、学生時代に男の先輩からラブレター貰ったっていう
噂を聞いたことがある。
それくらい、センセイには「男」のニオイを感じない。


「センセイといると女友達と一緒にいるみたい。」

「えー?何言ってるの、僕は歴とした男だよっ」

「それは分かってるけど。でもセンセイって可愛いし。
 なんつーの?こう異性としてドキドキしないんだよねー。」

「可愛いって言われても嬉しくなんかないよ!」


プイっとスプーンを握りしめたまま
センセイはそっぽを向いて拗ねて…いや、怒ってしまった。
それはまるで「もう知らないっ」なんて言いながら
彼氏の弁解を待っている女の子みたいだ。

窓の外を見ると、丁度そんなことを言いそうな女の子が
幸せそうな顔をして隣を歩く彼を見上げているのが目に入る。
例えば、私がセンセイより小柄だったり、可愛かったりしたならば
こうして向かい合う私たちはカップルの痴話喧嘩くらいには
見られるのだろうか。

少なくとも、こうして弟子入りした相手を怒らせて尚、
くだらない思考を滑らせている私に
甘酸っぱい恋の訪れの足音は当分聞こえそうにない。
はぁーこりゃ期限に間に合わないこと確定だなぁ。


「…そういえば、ペナルティって何なの?」

「え?」

「ほら、宿題の期限が守れなかった時のさ。」

「あれ?言ってなかったっけ?」

「うん、聞いてない。教えてよ。」


コロコロ気分の変わるセンセイは
例え怒ったとしても数分放っておけば元に戻る。
面倒臭がり屋の私にとって、かなり相性のいい相手だ。

相手の機嫌を伺うなんてとんでもない。
それが例え好きな相手だったとしても。
…なんて考えると、「本気で彼氏作る気ある?」と質問してきた
センセイにも頷けてしまう。自分でもそう思うもの。


「指導方針を考え直そうと思ってるよ。」

「げっ!スパルタとか?」

「違う違う。
 簡単に言えば授業場所を移動するってことかな。」


露骨に嫌な顔をした私を見て、
センセイは可笑しそうに笑った。

それはまさしく天使の笑顔。
その裏に隠れた小悪魔な一面も許せちゃうくらい。

でもね


「移動ってどこに?もったいぶらないで教えてよっ」

「うーん。じゃぁちょっと…」


小さく手招きするセンセイに
私は腰を浮かせて身を乗り出した。

彼は天使。
私がそう信じていたのはその瞬間まで。


「俺の部屋に決まってんだろ。
 もうドキドキしないなんてハルカに言わせねぇためにな。」


―――――――――!?!?!?!?!?


あとはもう雪崩のような勢いで。


「あははっ、冗談だよ。大丈夫?」


椅子から転げ落ちた私を気遣うフリをして
センセイは再び耳元に顔を寄せると
「彼氏いない歴19年も、あと3週間で終わりかもな」
そう呟いて笑顔を見せた。
けれどもそれは私のよく知る天使の微笑みなんてモノじゃぁなくって。

悪魔の笑顔。

天使の皮を被った小悪魔は
なんと更にその下に悪魔の素顔を持ち合わせていた。


「ハルカちゃん、僕レアチーズケーキ追加してもいい?」


瞬時に天使へと戻った悪魔の小首を傾げる可愛い仕草にも
私は必死に頷くことしか出来なくて。
頭では「早く好きな人を作らなくては!」と
3週間後に迫った危機を何とか回避しようとそればかり考えていた。

けれど心の中は
聞いたこともないセンセイの低い声がぐるぐると回っていて。
一瞬見えてしまった、緩めたネクタイから覗く喉仏とか。
追い払おうと必死になればなる程
こびり付くそれに気を取られていた私は
話を聞いていないと再びセンセイに怒られた。

心に根付いてしまったその正体が
恋だと気づく。
それはもう少しだけ、先の話…。



end。。。


2006/4/16


キリ番50をGETした、あいざわ紅ちゃんのリクは
「先生と生徒」「スーツ」でした!
普通の教師と生徒じゃぁつまらんと思い、
私なりにアレンジ?しちゃいましたが…どうでしょう。
紅たん好みになっているか、かなり不安です(”□”;)
どうぞ貰ってやってくだせぃ!!