あああああああああああ
どうしてこうなるんだろう。
窓の外を流れるように滑っていく景色に、
そっと息を零した。
心の中に漂う霧が溢れ出すような溜息は、これで何回目?
自分で数えるのも嫌になるくらい。
既に両手では足りないくらいのそれは
無言でハンドルを握る、運転席の誰かさんにもきっと聞こえてる。
オーディオ上のディジタル時計を見るふりをして
こっそり視線の隅にとらえる横顔。
本当は真っ直ぐ見つめていたいのに。
一秒だってあなたを見逃したくなんてないのに。
それでも、今の私にはこれが精一杯。
微かに捕えた表情ですら分かる、伝わってくる、イライラ。
ごめんね。
本当はたったその一言が言いたいだけなのに。
臆病で意地っ張りな私の心は、
その険しい視線にいとも簡単に怖じ気づいてしまう。
もうどのくらいの時間こうしているんだろう。
何度もタイミングはあった、はすなのに。
こうなる前に、何回だって謝ることは出来たはずなのに。
気づけば
積もりに積もった小さな無言の欠片が
窓の外を舞う雪のように、静かに降り積もり
二人の間にひどく重い壁となって立ちはだかっていた。
キッカケは私の些細な提案。
『ねー、私お年玉が欲しい。』
今日は年が明けて初めてのデート。
年末・年始とずっと仕事に追われていた彼に訪れた
1日だけのお正月休み。
それが私は嬉しくて。
そう。会えただけで本当は良かった。
別に何も欲しくなんてなかった。
ただ、ほんの少しだけ困らせたかっただけなの。
クリスマスも大晦日も会えなくて、
元々マメではない彼はメールもあまりしてくれなくて
ずっと電話だけのデートだったから。
寂しさを堪えていた心が少しだけ、彼に我が儘を言いたくなったと
甘えてみたいと、訴えかけてきただけなの。
それだけだったの。
『何言ってんだよ。
俺があげなくても、親戚とかから沢山貰ったんだろ?』
『沢山なんて貰ってないよー。少しなら貰ったけど。』
『ならいいじゃねーか。』
『よくないもん。全部親が貯金しちゃう。』
『お年玉が貰えるだけいーだろ。』
『まぁそーなんだけど。でも剛(ごう)はくれるでしょっ?』
『やだよ。』
『何でよー。けちっ』
つれない態度に頬を膨らませた私の頭上を照らす赤信号。
ギアをニュートラルにいれて、ブレーキとハンドルから足を離した剛は
苦笑混じりに煙草を取り出し火を点けた。
その手元で光を弾くジッポは、私が誕生日にプレゼントしたもの。
ゴールドの本体にシルバーでハートが半分刻んであるそれは
私が持つ一回り小さいジッポとペアになっている。
煙草を吸わない私が持っても意味がないだろうと
剛には散々バカにされたけど。
それでもいいの。
アクセサリー類を嫌う彼と何か、何かペアのものを持ちたかった。
『あんまムクれてるとブスになんぞ。』
『もともとブスだもん。』
『またそーゆー可愛くねーこと言う。』
『どーせ可愛くないもん。』
最初は冗談まじりだった声色が、少しずつ少しずつ冷めていく。
それと同時にBGMの音量がやけに大きく耳について
車内の空気が少しずつ少しずつ重く静かに染まっていった。
『だいたいお前使いすぎなんだよ。しょっちゅう遊び歩いてっから。』
『……誰かさんのおかげでいーっぱい時間があるからね。』
『……………』
トゲのある言い方をしてしまうのは、私の悪い癖だ。
喧嘩するたびに剛に注意されているし、自分でも分かっている。
でも、そんな風に言うなんて酷い。そう思った。
剛に会えない時間を1人で過ごしたくないから。
寂しい気持ちを一生懸命紛らわせている、そう剛も知ってるはずだから。
そんな風に言って欲しくなかった。言われたくなかった。
『おい彩花(あやか)、いい加減にしろよ。』
気づいたときにはもう手遅れ。
『うるさいなっ。私よりも仕事が大事な剛には分かんないよっ』
あ……………。
投げた後の言葉を取り戻すなんて、出来ない。
そこで我に返ったって全てが遅い。
目の前で吐き出された深く重い溜息は、
紛れもなく喧嘩の合図でしかなかった。
それから、既に30分が経過しようとしている。
相変わらず、二人きりの車内には重い沈黙が立ちこめ
行く当てのない車はさっきから同じ道をぐるぐると回っているだけ。
これがいつもと同じ電話でのデートだったなら。
どちらかが通話を切り一人きりの空間へ逃げ込むことが出来た。
一旦考えることを放棄したり、友達へ泣きながら愚痴ることだって出来た。
けれど、ここは二人きりの車内。
どうしてだか、車を止めようとはしない剛の心理は分からないけれど
この状況ではどこかに逃げることも
ましてや相手から離れることすら出来ない。
ただ、お互いの溜息1つ分かるほど狭い空間でじっと息を殺し
何度目かのリピート再生で訪れた曲が沈黙を裂いていく。
それだけ。
ふと、流れる歌詞に今の自分たちがピタリと交差する。
それは降り続く雪に想いをはせたバラード。
「………っ」
どうしてこうなるんだろう。
この30分間、何度も何度も考えたこと。
けれど本当は答えなんて分かっていた。
すべてが私の我が儘にすぎない。
剛に迷惑かけたくなんてない。
そう思う頭の隅ではいつだって、剛を困らせたいと考えている。
大人な剛に追いつきたいのに
私の心はいつだって、子供じみた甘えでいっぱい。
本当はずっと一緒にいたい。
仕事よりも私を構ってほしい。
接待なんか行かないで。
私以外の前で酔っぱらったりしないでよ。
取引先に電話するくらいなら、私にもっと声を聞かせて。
いつだって、いつだって
私は私のことばかり。
こんなことばかり考えてる私じゃダメなのに。
もっと剛のこと受け止めてあげたいのに。
もっと剛のこと分かりたいのに。
もっともっと大人になって、剛に相応しい女になりたいのに。
それなのに、それなのに
私はいつだって私のことばかり。
このままじゃ、このままじゃ、
いつか剛に愛想つかされちゃう、かもしれないのに…っ。
「……―――――っ」
堪えきれず小さく嗚咽が漏れてしまう。
慌てて両手で口を押さえるけれど
押さえた手の甲に溢れる涙が落ちていく。
こんなのってない。
泣きたくなんかないのに。
泣いたらもっと剛を困らせちゃう。
面倒くさい女だって呆れられちゃうよ。
思考とは裏腹に、止めようと思えば思うほど溢れる涙。
視界がどんどんぼやけていく。
「…泣くなよ。」
背中を丸めて泣き出した私に剛が声をかけてくれる。
その絞り出したような言葉は、
やっぱり困ったように歪んでいて。悲しそうで。
「そこの交差点曲がったら、車止めるから。」
剛の言葉に頷きながらも
私の涙は一向に止まる気配がない。
何か言おうと口を開いても
言葉にならない声は嗚咽となって車内に響くだけ。
「そうしたら…抱き締めてやるから。
だから、もう少し我慢して。」
また、困らせてしまった。
剛の言葉が嬉しいはずなのに。
そう思うだけで、潰れてしまいそうに胸が苦しい。
ごめんね。ごめんね。ごめんね剛…。
剛の言うとおり、数メートル先の交差点を左折すると
そのまま滑りこむように車は停車した。
ギアをパーキングに入れ、サイドブレーキを引く左腕。
私は色んな気持ちで複雑に揺れる心から逃げるように
両手で涙に濡れる顔を覆い隠した。
交差点にさしかかる前のあの言葉はとても気になっていたけれど。
かと言って、今更どんな顔をして剛を見たらいいのか分からなかった。
すぐにでも大きな胸に飛び込んでしまいたい。
そう思うのとは別に、後ろめたいような気恥ずかしいような。
どこかで自分を制するような気持ちが働いていたのは確かで。
黒く染まった視界。
無言の車内は車を止めたことで更に静まりかえり
呼吸ですらやけに耳に響くような気がする。
その向こうでカチリとシートベルトを外す音が聞こえた…瞬間
「…わっ、…!?」
強引な力に身体が傾いて
瞬時に香水と煙草の混じった独特の香りに包まれる。
それはいつもの剛の匂い。
車のドアを開けた瞬間。
剛が髪を揺らす瞬間。
抱き締められた瞬間。
キスする瞬間。
身体を重ねる瞬間。
いつもいつも、私はこの香りに包まれて
そのたびに固くなった気持ちがほだされていく。
安心する、剛だけの匂い。
「………ごめんな。」
抱き締められた腕の中で、魔法の言葉が降りてくる。
悪いのは私のほうなのに。
困らせるのはいつだって私なのに。
それなのにこの人は、こんなにも大きい。
こんなにも…優しい。
「ごめんね…ごめんね剛。」
付き合って2年近くが経つ私と剛。
過ぎていく時間のなかで、たくさん喧嘩をした。
たくさん仲直りをした。
私は何度も泣いた。
そのたびに何度だって剛を困らせた。
だって喧嘩に慣れることなんてないんだよ。
冷たいあなたの視線を感じるたびに
私はとても怖くなる。
あなたを失うことに、怖くなる。
だから
こうして温かなあなたに包まれるたびに
私は安堵の涙を流すの。
いつまでも泣きやまない私に
あなたはまた困ったように苦笑して髪を撫でてくれる。
それが私は嬉しくて、涙は止まらない。
ねぇ。困らせて、ごめんね。
「…お年玉が、ほしい。」
「…………わかったよ。そんなに欲しいなら何でもやるから。」
「じゃぁ…言って。」
「言う?」
「私だけだって、言って…。」
「彩花……」
欲しいのは、約束。
あなたとずっと一緒にいられる未来。
だからお願い、ずっと私だけを見ていて欲しいの。
大人になっても変わらない、私だけのお年玉。
「あぁ、お前だけだよ。
彩花、お前だけをずっと好きだよ。」
「ご…う…」
抱き締めたまま、何度も何度も髪を撫でてくれる。
ほらね。その温かくて大きな掌と
私をいつだって守ってくれる広い胸に
溢れる涙は今日もやっぱり止まらない。
「剛のせいで、ブスになっちゃった。」
すっかりマスカラが落ちたパンダ目で睨むと
剛はいつものように苦笑して煙草を取り出す。
涙をすくい取るように目元を拭ったその長い人差し指は。
私と同じように、マスカラの繊維がついて黒く染まっていた。
「ほら、彩花の好きなお揃いじゃん。」
悪戯っこのような笑顔で誤魔化す、ズルイひと。
それでも私は嬉しくて、
剛とお揃いのパンダ目を、ティッシュで拭くのをやめた。
すぐ横の大通りを走る車のランプが
流れては消え、またどこからか流れてを繰り返している。
暖冬宣言を撤回されたこの冬を象徴するかのように、
街を白く染めていく雪。
窓を開け手をかざすと、
舞い降りた光が音も立てずに私の中へと溶けていった。
再び引き寄せられた腕のなか。
静かに重なる唇の向こうでは相変わらずのBGM。
きっと、私は何度も今日のことを思い出すんだろう。
そしてその度に気づく、目の前の幸せ。当たり前の大切さ。
決して失ってはならない、大切なひと。
冬の日に舞う、
この粉雪と同じ名の曲を、聴くたびに…。
end。。。
レミオロメンの曲、「粉雪」から。すごくこの歌好きです。切なくて。
いつもお世話になっている彩花へのプレ小説です。
まぁ年賀状代わりに。
ごめん、約束してた内容とちがくなっちゃった(苦笑)
まぁあのネタは後日、別小説にでも。
2006/1/3
ああああああああああああ
・ 。 . ・ ’ * 粉 雪 * ’ ・ . 。 ・
あ |