3分の1の




「ほいじゃまず適当に歌いますかぁー!」


右手に持ったマイクを振り上げながら、
ソファの中央に座っていた男が立ち上がる。
それと同時に拍手と笑い声が部屋中に響き渡った。

連れてこられたのは一番奥の部屋。
都内某カラオケボックス。
テーブルに並んだ酎ハイと散らばったピザ。
ノリのいい音楽が廊下から聞こえてくる。
集まった人数は6人。
内訳をすると、男3人、女3人。
いわゆる、合コンってやつだ。


「えーっ、アタシ何歌おう。」


小首をわざとらしく傾げながら、
右隣に座る美咲が上目遣いで男を物色している。

こいつ、電車で痴漢してきたオヤジの足を
ピンヒールで踏みつぶしながらスーツに煙草押しつけてたくせに。
信じらんない。


「やーっ、ワタシお酒あんま飲めないからぁ。
 すぐ眠くなっちゃうのぉ。」


左隣では酒を勧める男に、
これまたわざとらしく両手を顔の前でブンブン振りながら
恵美がしおらしく微笑んでみせている。

おまえ、ビール一気飲みしまくったせいで悪酔いして
路地で吐いてる所に通りかかった男と
そのままホテルまでご一緒した挙句、
寝てる男の顔に胃液ぶちまけたとかって自慢気に語ってたくせに。
ふざけんな。


大学入学のため、高校卒業と同時に上京してきた。
いくら都会と言っても、フタを開けてみれば
案外田舎もんの集まりで出来ていたりするキラびやかな都。
未だに慣れない女子大生ってやつを奮闘すること数ヶ月。
とりあえず出来たオトモダチとの付き合いで
こんな風に合コンに顔を出してはみるけれど。

男あさりに夢中になる女と
お持ち帰りに命をかける男。
互いが互いに着飾り合って、騙し合って
その場限りのレンアイを楽しむ。

楽しむ…………

楽しむ?


「楽しかね〜〜〜〜〜よ」


こんなトコ来るくらいなら、
コンビニで酒買って、さっさと帰れば良かった。


「え?何か言った?」


さっきまで下手くそな歌を熱唱していた真ん前の男が
営業スマイルを貼り付けて問いかけてくる。
イマドキ風のシャツは勝負服なのだろうか。
襟や袖の明らかに自然と出来たであろう皺が
着古してる感じをモロに伝えてくれて、すげぇダサイ。


「ううん。なんでもない。」


負けずに営業スマイルを口元に浮かべると
あたしはそのままの表情をキープしつつ、
手元のカシスオレンジをグビッと一気に喉へ押し込んだ。


…うすいなーこの酒。


どうもカラオケの酒は作る店員によって
濃さがマチマチで好きじゃない。
こんなんでよく料金請求出来るよなー。
水じゃん、こんなの。
ぼったくりもイイトコだよ。





……………くすっ。





「ん?」


グラスに口をつけたまま、ふと顔を上げると
あたしの右斜め前。
さっきから美咲の上目遣いビームをビシバシ受けていた男が
こっちを見て…というかあたしを見て
確かに笑っていた。


「………………」


何だこいつ。
さっきから酒飲んでるか煙草吸ってるかのどっちかで
ロクに会話しないわ笑いもしないわだったクール気取り君が
何で急に笑顔なんか見せちゃってるわけ?
何であたしのこと見て笑っちゃってるわけ?

思いっきり怪訝な顔を見つめ返すと、
クール気取り君は更に可笑しそうに顔を歪めて
まもなくあたしから視線を外した。
俯いた喉からはクククッと堪えきれない笑いが僅かに聞こえてくる。


「……………………」


愛想笑い?
営業スマイル?
好意のしるし?

てゆーか……馬鹿にしてる?


「…………………………………」



む か つ く …





「あれ?栄ちゃんどこ行くの?」

「ちょっと、お手洗いに。」


勝手に名前呼ぶんじゃねーよ!
という想いを懸命に笑顔で押さえ込みながら立ち上がると
椅子の下に転がっていた鞄を掴んで部屋を出た。
抑えきれない怒りの欠片がこぼれ落ちて、
予想外にドアの閉まる音が大きく乱暴になってしまったけれど
知ったこっちゃない。



ドアの窓越しでさえもしつこく背中にまとわりつく視線を無視して
あたしはコツコツとヒールを響かせ、廊下を大股で歩いた。
隣や更にその隣の部屋から聞こえてくる不協和音。
時間が時間なだけに
どうしても酔っぱらいが多くなるのは仕方ないにしても
この歌声はさすがにヤバイんじゃない?

なんて余計な心配をしながらすぐ近くにあるトイレの前を通過し、
角を曲がって、部屋が見えなくなると
あたしは思わずその場にしゃがみこんだ。


「マジうぜー…」


愛想笑いも、下手くそな歌も
マズイ酒も、友達ヅラした関係も。

こんなに離れているのにそれでも部屋から響く歌はしつこいくらいで
塞いだ耳からも容赦なく入り込んでくる。
今流行りのノリのいい歌。
勝負服のあの男の声がする。
そうとう無理しているのかところどころ裏返っているのがバレバレ。
マジ、ダサイ。
大きな大きな溜息が本音と共に口から溢れ出る。


「はぁぁ〜。帰りたいよぉお〜。」


「…ぷっ」

「…!」



下手くそな歌の合間に突然現れた笑い声。
俯いていた顔をガッと上げると、
目の前には黒いパンツがすらりと伸びている。
腰元には財布に繋がれたチェーンがジャラリと音を立てていて
更に視線を辿る先にはあのクール気取り野郎が
面白そうにあたしを見下ろしていた。


「な、なにっ」


驚きのあまり不覚にも数歩後退したあたしを
チラリと視線の端で捕えて
クール気取りは手に持った煙草にライターで火をつける。
その一連の流れはあまりにもスムーズで
思わず見惚れてしまうほど。

左手に収まったライターは高そうなジッポというわけでもなく
そのへんのディスカウントショップにでも売ってそうな、きっと安物。
金持ちぶりをひけらかすクズな男どもより
あたしは全然好感持てるなぁなんて思ったりして。

まぁ…どうでもいいけど。


「トイレじゃなかったの?」

「えっ?」

「行くって出てったじゃん。」


一旦口元から煙草を離し、
白い煙を空気に泳がす横顔。
初めてマトモに聞いた声は思ったよりも高い印象を受ける。


「あぁ、聞いてたの。」

「ちょっとお手洗いに。だっけ?ウケた。」

「なに?ケンカ売ってんの?」

「あははっ、違うって。」

「……………」


呆気にとられた。
それまで押し殺すようにしか笑わないでいたクール気取りが
急にあっけらかんと笑うもんだから。
大きな瞳を細めて、目尻に皺なんか作っちゃって。
身を守るように纏っていたバリアーを無許可に解くもんだから……。


ズルイ…反則。



「ところでさ、君何チャン?」

「は?」

「名前だよ。何チャン?」

「………さかえ。栄えるって書いて栄。」

「へぇ、変わった名前だね。」

「…別に。」


壁に身体を預けて、ヒールのかかとで床を弾いた。
コンッと固い音がして軽いしびれが足に走る。

あたしが部屋を出てからどれくらい経ったろう。
クール気取りも部屋にいないことからして、
そろそろ変に勘ぐるヤツが出てきてるかも。


「…………栄」

「はぁ!?呼び捨て!?」

「あははははははははっ!!!冗談だよ。ウケるーっ」

「…………………………………………………」


突然の呼び捨てに驚いたあたしが声を上げると
途端にクール気取りは腹を抱えて笑い出した。

こいつ…さっきまで部屋にいたのと本当に同一人物?
なんか、キャラ違くない?

あまりにもの豹変ぶりと独特の雰囲気に
何だかあたしはついていけない。
軽い目眩を覚えた身体を落ち着けようと
溜息ついでに大きく息を吸った。


「面白いよね、栄ちゃんって。」

「あんたは変なひとね。」

「そ?」

「話してると調子狂わされる。」

「あーよく言われる。」

「そうなの?」

「今日もさー、頼むからお前はしゃべんなって言われててさ。
 むかつくけど、仕方ねーから大人しく酒飲んでたんだよね。」


悪びれる風もなく言ってのけるその笑顔は、
整った顔立ちによく似合っていると思った。
少なくとも黙って部屋の隅っこで煙草吸っているよりは
ずっといい。


「でも酒はマズイしロクなメンツいねーしで
 いい加減ウンザリしてたらさ」


短くなった煙草を、
ポケットから取り出した携帯用灰皿に押しつけると
クール気取りは「持ってて」と言って
そのまま灰皿をあたしの手に握らせた。

瞬間、軽く手が触れ合って。
男の人特有の少し高い体温が、酔った身体を微妙に火照らせる。


「おんなじよーにつまんなそーな顔してる栄ちゃんが見えてさ。
 おっかしくって思わず笑っちゃったわけ。」


そのままポケットから箱を取り出し、
更にその箱から二本目の煙草を取り出す長い指。
一体そのポケットにはどんだけ入るんだと
首を傾げるばかりのあたしに視線を絡ませたクール気取りは
再び、本日二回目となるあの反則の顔で、笑った。


「そんで後追っかけてきたの?」

「そ。栄ちゃんいないのにアソコにいたって
 つまんないじゃん?」

「…………」


慣れてるなーと、思った。

よくよく見ればその整った顔は
ヤバイくらいに男前だった。
長めに伸ばした前髪と、後ろ髪をツンツン立てたヘアスタイル。
耳にはシンプルなピアスが数個陣取っていて、
急カーブした眉毛に大きな目。
すらりとした身体には嫌味でないジャケット姿。
煙草を吸う仕草が嫌というほどキマっている。

そんな風にいつも女の子引っかけてるんでしょう?
そう言いたかったけれど、
既にこいつの魅力に気づいてしまったヤワな乙女心は
悲しいくらいに正直で。
とくとくとくとく…自分の鼓動がうるさい。


「…クール気取りのくせに。」

「え?なんか言った?」

「なんでもない。ところであんた名前は?」

「あーそっか!まだ言ってないっけ?ごめんごめん。
 俺の名前はジン。迅速の迅。」


そう言ってクール気取りならぬ迅クンは
「栄ちゃん風に言うとね」と付け足した。


「ふーん。迅クンはさ、よく合コンとか来るの?」

「たまにね。まぁたいていが付き合いさ。」

「へぇー。何してるひと?」

「美容師。つってもまだ見習い。
 働きながら通信で勉強してんだ。」

「そーなんだ。」


モテる要素揃いすぎデスネ…
そう心の中で呟くあたしを
迅クンは何か言いたげな顔をして覗き込んでくる。

お願いだから、その顔でアップは勘弁して欲しい。
女の子にしては長身なあたしをもすっぽり覆ってしまうほどの身長と
煙草の煙に紛れて薫る甘い香りが
いとも簡単に強ばる身体を余計に金縛りへと導いてしまうから。



「…なに?」

「さっきから、フーンとかへーとか
 そんなんばっか。つまんない?」

「そ、そんなことないよ。」

「なーんかさ、そういうことばっか言ってると、
 その口黙らせてやりたくなるんだよねー。」

「ふーーーーーーーん。どうぞ。黙らせれば?」


挑戦的な視線で見上げる。
すると、僅かにその口が綺麗なカーブを描いて微笑んだ。
途端に視界がヤツの大きな掌で遮られる。
黒く染まった世界はあっという間にヤツの侵略を許してしまった。


「やっ、な に ……っ」





唇を、ふさがれた。







その間わずか数秒。
瞬きよりも短い出来事。

それでも唇に残る感覚はやけにリアルで。
目を開けたとき、勝ち誇ったように笑うヤツの笑顔に
一瞬にして顔が熱くなるのが分かった。


「な…な…」

「かーわいv真っ赤になっちゃって。」

「何すんのよっ!!」


振り上げた腕をいとも簡単に掴まれる。
握りしめた拳はヤツに届くことなく大きな掌へと吸収されていく。

ドクドクと鼓動が加速して
あたしは懸命にブレーキを踏むけれど。
一旦ヤツに壊されたブレーキは勿論効果があるはずもなく。
結果、爆走の道を辿るあたしのココロ。


「どういうつもり?」

「黙らせばっつったの栄ちゃんじゃん。」

「そうだけど!でもまさかキ…キ…」

「なに?キス?」

「言わなくていいからっ!」

「あははははっ!!」

「………////」


遊ばれてる。
絶対遊ばれてる。

掴まれた腕を振り払うと、あたしは観念したように
再び壁にもたれ今日何度目かの大きな溜息をついた。

こんな遊び慣れてる人にケンカ売ったあたしが間違ってたわ。
もう帰ろう。そんでコンビニでお酒買って深夜番組でも見よう。
そんで何もなかったことにしてしまおう。
そうだ、それが1番いい。


「栄ちゃんってさ」


散々笑い転げた迅クンが、目尻に滲んだ涙を指で拭いながら
未だに残る笑いを必死に堪えてあたしを呼ぶ。
もはや脱力しきったあたしは半ば放心状態で。
部屋から懲りずに響く勝負服男の歌が
妙に耳について離れなかった。


「もしかしてキス初めてとかじゃないよね?」

「はぁ?んなわけないじゃん。」

「だよねー!あービビッた!」


心底安心したように、迅クンは安堵の笑顔を浮かべている。

馬鹿にすんなよ。
いくら元田舎娘だからってキスくらい経験ありますよ。
それくらいありますよ。

けれど、これほどまで動揺していた迅クンの姿に
嘘でも初めてだったと言っておけばよかった。
責任取ってと泣きついて
慰謝料くらいふんだくっとけば良かったと頭の隅で嘆いてみる。


「キスくらいで騒ぐから俺もーどうしようかと思っちゃったよ。」

「悪かったわね。キスくらいで騒いで。」

「栄ちゃんってさー」

「今度は何よ?」

「…純情なんだ?」

「………………っ」


迅クンといると、調子を狂わされる。
壊されたブレーキ。
それどころか、アクセルさえも壊されてしまいそう…。


「な、なに?」

「もっかい、しよ?」

「はぁ?何言ってんの?やだよ!」

「だって栄ちゃんって可愛いんだもんー。」

「そんなお世辞結構です!!」

「好きになっちゃった、栄ちゃんのこと。」

「ふざけんなー!」


そう言って思い切りヤツの足を踏みつけようとした瞬間、
ふいに聞こえた、小さな足音。
明らかに女物の靴がカツカツと、こっちに近づいてくる。
思わず壁に張り付いて迅クンの影に隠れた。
すぐ側で停止する足音。


「あの…」


鼻にかかったような甘い声。
確認なんかしなくたって分かる。
声の主は美咲だ。

合コン開始直後から迅クンにビシバシ光線を送っていた美咲。
あたしとヤツが出てったきり戻ってこないのを勘ぐって
後を追ってきたに違いない。

その証拠に美咲の声は聞いたことのないほど
艶っぽく、色っぽく、天地がひっくりかえるほどの勢いで加工されていた。


「なに?どしたの?」


瞬時にクール気取りへと変貌をとげた迅クンが
3本目の煙草をくわえながら返事をする。
その仕草にすらポーッと見とれている美咲。
たぶん、それも演技だとは思うけど。


「ずっと戻ってこないから。気になって…。」


うげげ!
どこのお嬢様だよお前っ!

必要以上に潤ませた瞳に迅クンを映しながら
俯き加減の美咲はきっと上目遣い効果を狙ってる。
「男は上目遣いと涙目に弱い」が口癖の彼女らしい口説き方。
それに気づいているのかいないのか、
相変わらずクール気取りモードで煙草をふかす迅クンの真意は
未だ掴めず。

すると、ふいによろけた美咲が
細い身体を壁にトンッと預けて。
その拍子に揺れる髪から甘い香水の匂いがした。


「どしたの?大丈夫?」

「美咲…何だか酔っちゃったみたい。」

「マジで?そんな弱いの?」

「クラクラする。どこか落ちついた所に行きたいよ…」


ひぃーっ!

目の当たりにした女のマジ演技に
全身の毛が逆立つような感覚を覚える。
お持ち帰られたいオーラを全身に散りばめた美咲は
これまでにないほど演技に気合いが入っていて
よっぽど迅クンを気に入ってることが手に取るように分かった。
もちろんそんなあたしの心の声が届くわけもなく、
美咲と迅クンの間には艶っぽい沈黙の風が流れている。


「…………・」


なんとなく、迅クンは美咲の演技に気づいているような
そんな気がした。
だってあれほどまで女の扱いに慣れてる人だもん。
気づかないわけない。

じゃぁどうして何も言わないんだろう。
どうして美咲の演技にわざわざ付き合っているんだろう。



美咲が可愛いから……………?


「…………っ」


あたしはイライラしていた。
女の武器をフルに使って迅クンを口説く美咲に。
そんな美咲に何も言わない迅クンに。
そして…

理由もなくイラだっている自分自身に。





「…………?」


ふいに、右手の指先に何か温かいものが触れた。
不思議に思って視線を向ける。


「!」


右手の中指にそっと絡むゴツい指。

間違いなく、迅クンの指だった。




な んで…?


驚きと動揺で思わず声をあげそうになりながら、
それでも僅かに残った理性がやっとの思いでそれを制止する。

戸惑うあたしの手に容赦なく絡む迅くんの指。
ついさっき一瞬だけ触れた温かな体温。
その人差し指にはめられた指輪がキンと冷たい。
彼の体温と金属の感触が妙なコントラストを創り出し
あたしの手から全身へと流れ出ていく。

慌てて離そうと手を振り回しても
思いの外、力強く掴む指先を振りほどくことは出来ず、
むしろ無言の反論とでもいうように、
ギュッと大きな掌で握り返されてしまった。

勿論あたしがここにいることを知らない美咲が
それに気づくはずもなく
一体迅クンが何を考えているのかさっぱり分からない。


あたしの手を包み込む大きな掌。
そこに添えられた指が執拗に絡んで離さない。
これって…


コイビト繋ぎじゃん……?



ねぇあんた意味分かってんの?
それともまたあたしのこと馬鹿にしてんの?
何で他の女と話しながらあたしにかまうのよ。
何で手なんか握るのよ。
意味わかんない。
意味わかんないよ、あんた…。


あたしは大人しく壁に背中を預けながら宙を仰ぐ。
ヤツの左手と繋がったあたしの右手。
軽くユラユラ揺らしてみる。
そういえば、男と手なんか繋ぐの、久しぶりだなぁ。


「……………」


耳障りな音楽は相変わらずだけれど
なんとなく、このままここに居たいと思っくる。
このままこうしていたいと思った…。


「つーかさ」


…!?


ふいに耳を突き抜けた迅クンの声にハッと我に返ったあたし。
そういや手なんか握られたことに動揺して
すっかり忘れてたけど
その間美咲と迅クンはずっと見つめ合ったままだった。
乙女な心境に浸ってる場合じゃないよ!
一気に冷や汗が吹き出す。


「俺、好きなコいるんだよね。」

「え?」


…………………………………え?


聞き捨てならない台詞に美咲は驚いたように顔を上げたけど、
きっと誰よりも何よりもその瞬間に驚いたのはあたしだったように思う。

今、何とおっしゃった?

す、すすすすすすきな子ぉ!?


「ちょっとあんた!だったら何であたしなんかと手ぇ…っ」



…………………。



……………………。



……………………………。




沈黙が流れること数秒。
その間もちろん、先ほどの美咲と迅クンのような艶っぽい空気など
微塵も感じられなかったことは言うまでも、ない。


「え…?栄?何して……」


驚いたように美咲があたしと迅くんの顔を交互に見つめる。
その顔は正直で
まるで「何が何だか分からない」ってマジックで書いてあるみたい。
やがてその視線が繋がれたあたし達の手に行き着くと
彼女の顔に書かれた文字に怒りマークが付け足されたような気がした。


「あ………・えっと…」

「何であんたがここにいるのよ?」

「そ、それはぁ〜その…」

「それに何?その手?」

「えぇぇーっとぉ…」


トイレに行った後急に睡魔に襲われて廊下で寝てたら
急に手を掴まれて驚いて起きたの。
そしたら美咲と迅クンが目の前にいたのよ。
だからあたしにも状況がさっぱり分からなくって。


…なんて言ったら彼女は信じてくれるだろうか?

とりあえず試みてみる。


「じ、実はトイレに行ったらね?」

「はぁ?トイレ?」

「ゔ…っ」


既に彼女の顔には怒りマークどころか
あたしの暗殺計画までメモされてるような気がするのは幻覚?

だめだ。
弁解不可能。
えーいやけくそ!


「みみ美咲、具合悪いんでしょ?ほらっ、演技続けないと!」


しーん。





…あれ?





「…くっ、あはははははははっ!!!!」


再び襲った妙な沈黙に耐えきれなくなったように
それまで押し黙っていた迅クンが突然の大声で笑い出す。
既に慣れっ子なあたしとは対照的にギョッと目を見開く美咲。

それもそのはず。
彼女が思い描いていたクールビューティーな迅クンの姿が
たった今、目の前で儚く砕け散っていったのだから。


「え?じ、じん…くん?」


戸惑う美咲の声を完全にシカトし、
スイッチの入ってしまった偽クールビューティーは
ウケるーとか、そりゃねーだろーとか、
1人で勝手に騒いではバンバン膝を叩いて笑い転げている。


「マジ栄ちゃんサイコーだよ」


一頻り笑い転げた偽クールビューティーは、
いつものように目尻に浮かべた涙を指先で拭いながら
腹に残る笑いを吐き出すように、クククッと低く思い出し笑いをした。

「思い出し笑いはスケベ」
いつか誰かが言っていた言葉が脳裏に浮かんだけれど。
おそらくコイツの前でそんなもん通用するはずもないと
瞬時に脳が察知し、
あたしは黙って浮かんだ言葉を喉へと送り返す。


「さすが、俺が惚れただけある。」


「…え?」


「…は?」


美咲とあたしの一言は
最悪にも、同時だった。


「言ったもん勝ち」なんて言葉誰が考えたんだろう。
だとしたら、先手を打たれたあたしは不利すぎる。
あっという間に手を掴まれたかと思えば、
瞬時に指を絡ませる仕草はまさに神業。
高らかと繋いだ手をまるで美咲に見せつけるように掲げ
そのままニッと意地悪く微笑んだクール気取りは
あたしを引きずるようにして駆けだした。

捨て台詞を置き去りにして…。


「紹介するよ!俺の彼女でーす!」


風のように走る後ろ髪がサラサラとなびいていく。
長い長い足が大股で地面を蹴るもんだから
あたしは必死で背中を追いかけた。
繋いだ手が離れてしまうことのないように、
ただ、夢中で追いかけた。


「ちょっと!誰が彼女なのよ!」

「えー?だって俺たちチューまでした仲じゃん?」

「そ、それはあんたが勝手に…っ」

「俺純情だから、責任とってもらわないとー。」

「はぁ?よく言うわよ。この嘘つき大魔神っ!」

「あははははっ」


呆然と立ちつくす美咲の姿を見送りながら。
相変わらずの大声で笑い散らすヤツの背中を見つめながら。
あたしは込み上げる想いに不覚にも思わず微笑みなんつーもんを
浮かべてしまっていた。


だって、愛しすぎる。



「ねぇ、どこまで走るの?」

「んー?ゆっくり落ち着けて、愛を育めるところまで、かな?」

「なっ!?嫌よ!ちょっ、離しなさいよぉッ!!」

「なーに想像しちゃってんの?もう栄ちゃんてばエロイなぁ。」

「…////さいってい!あんたなんかあんたなんか…」

「なに?」

「…………何でもないわよバカッ」

「何だよ気になるじゃんっ」




くだらない愛想笑いに、下手くそな歌に
マズイ酒に、友達ヅラしたウザイ関係。
最低な合コンで出会った最低な男。

それでも


あんたなんか………だいすき。




飲み込んだ言葉を言える日が来るまで
どうかこの手を離さないでいて…。




end。。。





2005/5/9