次の日、勝手に帰ったことを謝る私に
敦史は気にしていないと頷いてくれた。
その笑顔の裏で、私の気持ちに気づいているのかは分からない。
ただ、2人の間にあるこの距離が
またほんの少しだけ広がった気がしたのは間違っていないと思う。
そして
敦史の後ろで私を見つめる水夏の瞳と
教室の隅で本を読む秋穂。
2つのするどい視線が私の背中に突き刺さったことも。
ねぇ玲。
あんたは今、何を考えてる…?
桜
−6−LateFall In 1999
どこまでも遠く広がる澄んだ空に
ゆるやかな鱗雲が仲良さげに連ねている。
まさにサッカー大会日和と言うべきこの秋晴れの下、
膝を抱えて座り込んだ階段はとても冷たい。
校庭では、もうあと数分で試合が始まる緊迫感を漂わせながら
玲たち2年メンバーと3年メンバーが黙々とシュート練習を続けていた。
「いきなり3年と当たるなんてついてないよね。」
隣で同じように膝を抱えた水夏が小さく溜息を零した。
その理由に私も同感だと頷いてみせる。
サッカー大会はトーナメント制である。
対戦相手を決めるのは毎年クジと決まっていて
すべて学年混合だ。
なので、私たちのクラスのように
運悪く初戦から先輩と当たるなんてことも珍しくはない。
「ちゃんと守れるのかなぁ…。」
「何?玲のこと?」
「うん。昨日も自信ないとかって言ってたし。」
視線の先にいる玲は、ゴツいグローブをはめ
大きなゴールを守っている。
そう、ゴールキーパー。
彼がどうしてそれを務めることになったかは知らない。
けれど、小柄な彼とゴールのアンバランスさは明らかで。
プレッシャーを背負い込んだ横顔を思い出して、何だかハラハラしてしまう。
「春花ってさー玲と仲いいよね。」
「そう…かな?」
「そうだよ。1年の時までそうでもなかったのに。
何でそんな急に仲良くなったの?」
「えー?うーん…何でだっけなぁ。」
玲と親しくなった理由。
それは私の気持ちに玲が気づいたから。
未だに何で敦史への片思いを応援すると言い出したのかは分からない。
けれど、紛れもなくそれがキッカケだったことに間違いはなく。
もちろん、それを水夏に伝えるわけにはいかない。
かと言って気の利いた嘘も思い浮かばない私は
仕方なく適当にとぼけてみるけれど。
「なんかあるんでしょ?理由が。ねー教えてよ。」
「別に理由なんてないってば。何となくだよ。」
「ふぅん。」
私の言い訳にどこか納得のいかないような顔をして
膝の上に置いた肘で頬杖をつく水夏。
けれど、すぐにその興味は私から
校庭を走り回る敦史に移ったらしい。
頬をほんのりピンクに染める横顔は
まさに恋する乙女と言ったところ。
こういうとき、私はいつも水夏が羨ましくなる。
私もこんな風に心にある気持ちを素直に出せたらいいのに。
水夏のようになれたらどんなに楽だろう、と。
でもね。
そう思うのは半分本気で半分は嘘。
だって私は知っている。
自分の気持ちをさらけ出せば、
それだけ傷つく回数も増えるってことを。
現に水夏の涙する姿を何度も私は見てきているから。
嘘という仮面の下に本心を隠した私は、
結局いつも自分を守っているんだ。
だから真っ直ぐな水夏のようには、
私の思いは敦史の元へと届かない。
「でも玲は絶対春花のこと好きだよねー」
「…はっ?」
突然の言葉に、
ぐるぐると回っていた思考回路へ一時停止命令が下される。
驚いて顔を上げれば。
からかうようにニヤついているのだとばかり思っていた水夏は
予想外に涼しい顔を敦史に向けたまま。
「な、何でそうなるの?」
「だって皆言ってるよ?あたしもそう思うし。」
「有り得ないよ。大体玲には秋穂がいるじゃん。」
そんなこと有り得ない。
ずっと、そう信じていたことが
いとも簡単に崩れ去ってしまう時がある。
それはきっと、こんな瞬間。
「春花知らないの?玲と秋穂ってこの前別れたらしいよ。」
「―――――え?」
一時停止を解除された脳が、
水夏の言葉で再びぐるぐると回り出すのを感じた。
それと同時にこれまで疑問に思っていた、
けれど出来るだけ考えないようにしてきたことが鮮明に浮かび上がってくる。
どうして、玲はいつも私の側にいるんだろう?
あの春の日から、気づけば玲が隣にいることが自然になっていた。
何食わぬ顔をして現れて
一頻り私のくだらない愚痴を聞いてくれて
バカにしたように私をからかっていく。
けれど、そうやって玲とふざけ合った後の私は
いつも笑っているんだ。
困っている時、悲しい時、
私の下手な嘘に、いつも一番最初に気づいてくれるのは――――――
『玲くんは、春花ちゃんが好きなの…?』
あの日、秋穂の言葉に玲は困ったような顔をして
無言で私に背を向けると、そのまま帰っていった。
足早に歩く玲を必死に追いかけながら、秋穂の背中は泣いていた。
本当は、あの後どうなったの?と
ずっと聞きたかったのだけれど。
次の日あまり機嫌の良くはなかった玲に
何となく口に出してはいけないような気がして。
結局何事もなかったかのように毎日が過ぎていった。
そういえば、私はあまり玲のことを知らない。
いつも話を聞いて貰うばかりで。
玲の愚痴とか、今まで聞いたことがない。
「あ、噂をすればの玲が手ぇ振ってるよ。」
水夏の言葉に顔を上げると、
吹き付ける風の寒さで真っ赤な顔をした玲が
イタズラっ子のような笑顔で大きく手を振っていた。
「頑張ってねー」と声を張り上げる水夏に促されながら
私も小さく手を振り返す。
その頭の片隅で。
いつか一度だけ見せた
弱気な玲の横顔が浮かんだのは、神様の気まぐれだったのか。
まるで木々を賑わす秋風のように
心の奥がザワザワと音を立てている。
『俺、好きなヤツが…出来そうなんだよ。』
あれは、誰のことだったの…?
ようやく玲に向き合い始めたことにすら、
この時の私はきっと気づいていなかった。
ただ、ざわつく心の音を掻き消すように
遠くで試合開始の笛が聞こえた。
to be continued。。。
2006/3/4