−4−LateFall In 1999



春花たちの中学校では
学年・クラス対抗のサッカー大会が毎年行われている。
とは言っても実際に出場するのはクラスから1チームと決められているため
必然と男子のみの大会となり、女子はひたすら応援に専念という形だ。

ひどく不公平のように思われがちなこの大会。
しかし女子からクレームの声があがったという形跡は一切ない。
なぜならば、
各クラスから選りすぐりの男子生徒が出場するこの大会は
女子たちにとって、単なるサッカー大会以上のイベントを意味しているから。
この大会を通して生まれたカップルは数知れず。
しまり、格好の告白イベントというわけだ。

それは勿論春花たちにとっても例外では、ない。




「敦史も勿論出場するんでしょ?」


大会を一ヶ月後に控えたある放課後。
机に広げたA4用紙から顔を上げると、
目の前に座る敦史に水夏は小首を傾げ、問いかけた。

サッカー大会の準備を進めていくのは
クラス委員である水夏と敦史の仕事である。
その仕事内容はメンバー選出から横断幕作り、応援歌の決定など様々で。
人手不足で間に合わない…と溜息まじりに嘆く水夏を放っておけない春花は
机を並べる水夏と敦史の隣でしぶしぶ横断幕にマジックを走らせていた。


「まぁ一応そのつもりだよ。
 サッカーあんま得意じゃないんだけどさ。」


笑顔を浮かべる敦史の手には膨大な紙。紙。紙。
昨年までの応援歌を生徒会がまとめて資料にしたものだ。
この中から各クラス二曲ずつ応援歌を選び、決定する。
それも勿論クラス委員の仕事。


「そんなこと言ってー。さらっとシュートの1本でも決めちゃうんでしょ?」

「無理だって。あんまプレッシャーかけないでよ。」


楽しそうに笑いあう敦史と水夏。
水夏が片思いを宣言してから半年あまり。
今では何かと仲の良いこの2人が
何故付き合わないのかと本気で疑問に思う生徒もいるほどで。

水夏と共に行動することが多いせいで、
必然的に春花まで敦史と会話する機会の増えたこの半年。
それが嬉しいようで、切なくて。
だけどやっぱり嬉しくて。
複雑な思いを抱えたまま、春花は今日もこの2人の会話に耳を傾ける。


「あっ!!!」


突然の大声と共に水夏が勢いよく立ち上がった。
その拍子に椅子が床に投げ出され、
すさまじい音が駆け抜けたかと思った瞬間、一気に静寂が教室内を襲う。


「な、何?どしたの?」

「いきなり大声出すなよー」

「忘れたっ!!」


春花と敦史の声が全く聞こえていないとでもいうように、
水夏はツヤツヤの唇をあんぐりと開けたまま天井を仰ぐ。


「忘れた?何を?」

「応援席の確保よ!!
 今日隣のクラスの子と話し合う約束してたんだった!」


敦史の問いかけに冷めやらぬ興奮を訴えながら
水夏は慌てた様子で机に広げた用紙をバサバサと数枚めくっている。

応援席の確保とは、
その名の通り選手以外の生徒が応援する場所取りのこと。
細かな指定はされておらず、基本的に各クラス委員の話し合いによって
決められることになっていた。


「あたし今から話し合ってくるよ。」

「え?今からってもう5時すぎてるよ?
 その子帰っちゃったんじゃない?」

「んー、でもまだ待ってたら悪いし。
 今日決めないとまたスケジュールが崩れちゃうから。」

「だけど…」

「すぐ戻るから待ってて!」

「え!?ちょっ、水夏!?」


戸惑う春花を残し、猛スピードで教室を後にしていく水夏。
勢いよく閉めた扉がピシャリと音を立てる。
その向こうでは遠くなっていく水夏の足音がパタパタと響いていた。




「相変わらず衝動的だなぁ。…どうする?」


春花と水夏のやりとりを黙って見ていた敦史が口を開く。
振り向きざまに視線が重なって、反射的に春花は俯いた。


「どうする…って、待ってるよ。
 すぐ来るって言ってたし。」

「水夏のことだし、いつ帰ってくるか分かんないよ?」

「う…ん」


敦史の言葉は春花の胸をチクチクと突き刺した。
何だかひどく親しいような。
まるで敦史が水夏の唯一の理解者のような。
そんな口調が気になって痛くてたまらない。


「敦史は帰らないの?」

「もう少し残ってくよ。
 とりあえずコレ終わらしちゃわないと、水夏に怒られそうだからさ。」

「…そっか。そうだよね。」


ほら、またその口調。

今まで一緒にいることは多かったけれど、
水夏と敦史にそれほど大きな変化は無かったように思う。
…が、本音というものは相手がいない時にこそ姿を現すもの。


春花は気づいてしまった。

水夏と敦史の距離は確実に近づいている。



「じゃぁ私も横断幕完成させちゃうね。」


そう言うのが、精一杯だった。


逃げるように敦史に背を向け、マジックを走らせながら
春花はまた今日も自分を守ることしか出来ない。

窓を叩く風と時計の音。
その2つが奇妙なコントラストを創り出していて、
厄介にも教室内の沈黙を一層引き立ててしまう。


突如として訪れた敦史と2人きりの空間。
好きな相手とライバルを2人きりにしてしまうなんて、
水夏も案外抜けている。
…が、裏を返せばそれは水夏が春花を信頼している証。
自分の気持ちに全く気づかない水夏に何だか申し訳ないような
そんな気持ちが春花の全身を駆け抜ける。

それでも

こんなことは滅多にない、春花にとっては絶好のチャンス。


「……………」


春花は作業に熱中するふりをしながら
こっそりと敦史に視線を送った。

ぶあつい資料を手に取り、
何だか難しい顔をして考え込んでいる敦史。
その真剣さはクラスの為などでなく、水夏の為なのではないか。
そんな考えが脳裏をよぎった春花はぎゅぅっと目を閉じ
押しつぶされそうになる心の痛みから懸命に耐えていく。


「…?」

「!!」


何気なく敦史が顔を上げた。
ふいをつかれたせいで、逃げ遅れた春花の視線は
バッチリと敦史に絡まってしまう。


どうしよう…目が、合っちゃった。


「あ、あの…」


決定的な沈黙が怖い。
そんな思いから何とか場を繋げようと精一杯の言葉を探す。
が、悲しいくらいに自分の中は空っぽで
こんな時何を話せばいいのか春花には分からない。

焦れば焦るほどに乾いた息は声にならず、
沈黙が2人の重なった視線を痛々しく引き立てていく。


「敦史…ってさ」

「ん?」

「み、水夏と仲いいよねっ!」

「え?」



気づいたとき、一番言ってはならない話題に触れている自分がいた。



「ほら、結構クラスでも噂されてるし。
 実際のところどうなのかなーとか思って。」


こうなると、もう止まらない。
あふれ出した言葉が次々に敦史へと流れていく。

本当はずっと知りたかった。
知りたくて、でも聞けずにいた。
誰よりも一番敦史の心を知りたいのは、きっと春花であったはずだから…。


「どしたの?突然」


困惑の色を瞳に覗かせて、それでもその優しさからか
春花を気遣うように微笑む敦史。
春花の胸が音を立てる。
思えば、これほどまで長い時間2人きりで話すのは初めてだった。

いつも、敦史の側には水夏がいた。
水夏を挟んででしか敦史と会話の出来ない自分。
そんな自分が春花は嫌いだった。
もっと敦史と話したい、もっと近くにいたい、
いつだって、そう思っていたはずなのに…。


「水夏のこと、敦史はどう思ってるの…?」


握りしめた掌に汗が滲んだ。
更に爪が食い込んでヒリヒリと痛む。

きっと、今までにないくらい敦史を困らせている。
そう春花は分かっていた。
それでも聞かずにはいられない。
というより、今聞かなければもう二度とこんな機会は訪れない。
敦史の心には触れられない…そんな気がしていた。


「じゃぁさ、春花はどう思うの?」


ふいに敦史が口を開いた。
その視線は自分の手元と春花とを行ったり来たりしながら
それでも時折重なる視線は何かを訴えかけるように春花を引きつける。


「どう…って?」

「俺と水夏のこと、どんな風に思いながら見てるの?」

「え……」


窓から入るすきま風が晩秋の冷えを一気に運んでくる。
カタカタと窓を叩くその音が、春花の鼓動と重なって響き、
何だか次第に大きくなっているようにさえ感じられた。

真っ直ぐ春花を見つめる敦史の瞳。
恐れていた沈黙が2人を包み込む。



どうしよう どうしよう 玲…っ



春花は無意識のうちに心の中で玲の名前を呼んでいた。
まるで当てもなく続くこの沈黙の答えを玲に求めるかのように。


「私…は…」






このまま自分に嘘つき続けるつもりかよ?






「…っ」


玲の声が、聞こえた気がした。


春花の本当の気持ち…それはいつだって心の奥深くに追いやられてきた。
消え去ることも、忘れ去ることも出来ずにひたすら花開く時をただ信じて。
矛盾に軋む時も、笑顔を保って。
寂しさに嘆く時も、平然を装って。

それは敦史のせいではない。
それは水夏のせいではない。
それは…何よりも誰よりも臆病な、自分自身のせい…。


本当は、いやだった。
楽しそうに笑い合う2人を見るたびに
涙が溢れそうな衝動を必死に堪えていた。

水夏を応援することでしか、敦史の側にいられない自分。
自分1人の力では敦史と思うように会話することさえ出来ない。
そんなもどかしさを抱える春花の前には、
いつだって親しげにじゃれ合う敦史と水夏がいた。


痛みさえ感じることを忘れかけた心の声に
気づいてくれたのは、誰だった?


「私…ほんとは……」


敦史がすき。
すごくすき。

敦史が水夏と一緒にいるの、つらいよ。




「……………………………」


「春花?」


「…お似合いだなって、思ってる。」



喉まで出かかった言葉を、結局春花は口にすることが出来なかった。
想いを声にする瞬間、水夏の涙が脳裏をよぎったのだ。
それと同時に孤立していく自分の姿が…。

水夏を失ってしまった時の自分を想像したとき、
そこには耐え難い恐怖が春花を待っていた。
裏切り者のレッテルを貼られ、白い目で見られている自分。
涙する水夏の背後から突き刺すような視線の雨が降り注ぐ。

そんな状況に自分は耐えられるのだろうか。
あと1年以上もこのクラスで過ごさなければならないというのに。
自分は孤独に打ち勝つことが出来るのか。



…そんなの、私には無理だよ。



花開きかけた心の声が次第にしぼんでいく。
結局春花には友情というしがらみから抜け出る勇気は持てなかった。




「それって春花の本心?」

「え…?」


黙って春花の言葉を待っていた敦史が投げかけたのは
今までにないほど真剣な瞳。
それは春花の心の中心をいとも簡単に射抜いていくほど真っ直ぐで、強い。


「なんか…春花って本当にそう思ってるのか分かんない時あるから。」

「そう、かな…」

「悪く思ったらごめんな?
 ただ…自分に自信ないんかなって思ってさ」

「……………っ」


それはとても聞くに痛い言葉だった。

春花から見た敦史はとてもキラキラしている。
夢と希望に溢れ、それを叶える為の努力を苦とは思わない。
自分への信頼、勇気、自信。
その全てが要因となって敦史の周りにはいつも
淡く光る何かが見えているような気がしていた。

敦史だけではない。水夏だってそうだ。
恋を知った少女はとても綺麗になった。
髪はさらさら。唇はツヤツヤ。肌はつるつる。
水夏の笑顔には風に乗って舞う桜のような、そんな華やかさが存在している。

それが羨ましくて。羨ましくて。
どんなに羨んでも、決して手に届かないことなど分かっている。
だから余計に欲しくなる。
どうしたら自分に自信を持てるようになるだろう。
どうしたら敦史や水夏に追いつけるだろう。

どれだけ走っても、決して届かない僅かな距離。
手を伸ばしても決して掴めない敦史の心を
簡単に水夏が触れていく。



「もっと自信持ってもいいんじゃない?ほら、水夏みたいにさ。」



「―――――――――…!!」



一瞬にして目の前がモノクロに染まったのが分かる。
耳の中に鈍い何かが絡まって上手く音を聞き取ることが出来ない。
その代わりのように、やけに自分の鼓動が全身に響いている。
くぐもった音とぼやけた視界。
まるで、外の世界から完全にシャットアウトされてしまったような…。



聞きたくなかった。
そんな言葉。



「……わ、わたし…帰る」

「…えっ?」

「ごめんね。ほんと…………ごめん。」


それだけを早口でまくしたてると、春花は床に転がった鞄を掴み
逃げるように教室を後にする。
玄関に向かう途中、隣の教室で楽しそうに友達と笑い合う水夏の姿が
春花の目に飛び込んだ。
途端に襲う胸が押しつぶされそうなほどの痛み。
春花はぎゅっと胸辺りの服を握りしめながら
立ち止まることなく教室前を駆け抜けた。
その瞬間水夏と目が合った気がしたが、かまわず春花は玄関を目指す。


突然立ち去った自分を敦史は不審に思ったことだろう。
呆れてしまったに違いない。
嫌われてしまったかもしれない。
自分の気持ちに気づかれたかもしれない。

それでも春花にはこれ以上敦史の側にいることは出来なかった。
これ以上敦史の口から水夏の話を聞くことなど出来なかった。
自分から水夏の話題を持ち出したくせに、
敦史の口から聞かされることがこれほどまで辛いなんて
知らなかった…。

知りたくなかった…。


水夏と比べられたくなかった。
水夏とだけは比べられたくなかった。
敦史にだけは比べて欲しくなかった。


廊下を走る自分の足音に混じって響く声。
春花の名前を呼ぶ敦史の…。


「…………っ」


春花は振り向こうとしなかった。
立ち止まることなんて出来なかった。
溢れそうになる涙をこらえることで精一杯だった。
泣いている姿なんて、誰にも見られたくない…。


上履きのまま玄関から飛び出し
春花はそのまま校舎裏へと走っていく。
晩秋の冷えが一気に春花の肌を突き刺した。
身体の痛みが心の痛みを少しだけ紛らわせてくれる気がして
春花はより一層そのスピードを上げるべく大きく息を吸い込む。



そのとき



「――――――きゃっ」



突然腕を強い何かが引っ張って、
春花の身体は急ブレーキを余儀なくされる。
その瞬間零れたものは汗だったか涙だったのか…。




「待てよ…春花」





痛みさえ忘れかけた心の声に

気づいてくれたのは、誰だった…?




 to be continued。。。





2005/4/16