−3−Fall In 1999


足早に夏は過ぎ去り、
熱気を帯びていた風もいつの間にか秋の色に塗り替えられていく。
つい4、5ヶ月前に鮮やかな花を咲かせていた桜を
またしても鮮やかな色で飾る季節がすぐそこまで訪れていた。

もっとも、その色は愛らしい春の色などではなく、
目を奪われる赤や黄やオレンジ色なのだけれど…。


給食を食べ終えた昼休み、
春花はベランダの手すりに寄りかかりながら歯を磨いていた。
その隣には当然のように玲が同じく歯を磨いている。

春以来少しずつその距離を縮めてきた2人だが、
今となっては春花と玲の2ショットは校庭に並ぶ桜と同じように
ごくごく当たり前の光景としてクラスでも扱われていた。


「あーあ。夏が終わっちゃったね。」


遠い空に広がる入道雲を見つめながら、
春花は夏の残り香に溜息をついた。
つい最近顎のラインまで切りそろえた髪が、
未だに湿気を運ぶ風を難なくかわし心地良い。


「お前夏嫌いじゃなかったっけ?」

「嫌いだけど、それでも何か終わると思うと寂しくなんない?」

「なんない。」

「…気が合わないなぁー」


キッパリ言ってのける玲に春花の眉間に皺が寄った。
シャコシャコと歯ブラシが音を立てている。


「生まれた日は一緒なのにな?」


視線を春花に向けながら、玲がニッと口角を持ち上げた。
成長期まっただ中にいる彼だが、
元々背の高い春花にその身長は未だ頭1つ分追いつけずにいる。


「ほんとだよ」


必然的な上目遣いを横目で受け流すと、
そのまま風に流れる入道雲に春花は視線を戻した。


春花と玲は生まれた日、つまり誕生日が同じだ。
かと言って勿論一緒に祝った覚えはないし、
おめでとうなんて微笑ましい会話を交わした記憶も一切ない。
ただ同じということを認識しているだけ。ただそれだけだった。

今までは。


「春花にはほんっと期待を裏切られたよ。」

「何それ。何で?」

「おめでとう、はいっプレゼント♪つーのを期待してたんだけどなぁ」

「ちゃんと言ったじゃん。オメデトウって。」

「それじゃ何も伝わんねーよ。」

「気持ちこめたもん。」

「気持ちじゃねんだよ、カタチだよ。」

「うわっ、さいてー。」


今年…14歳の誕生日、春花と玲は互いに祝いの言葉を贈った。
14年間も同じ日が特別だったのに、その言葉を交わすのは生まれて初めて。
ガラにもなく照れた2人はぎこちなく笑い合ってみせると、
足早に別れ、それぞれの時間をそれぞれの場所で過ごしたのだった。


「玲は私があげなくてもキモチもカタチもいーっぱい貰ったんでしょ、どーせ。」

「あ?何でだよ?」

「秋穂とラブラブ誕生日過ごしたんじゃないんですかぁ?」


からかいの色を含んで微笑みかけると、
途端に玲は不機嫌そうに眉をつり上げた。



玲は、秋穂の名前を会話に持ち出されることを嫌う。
それが何故なのかは春花には分からない。
何しろ「秋穂」という単語を出しただけで不機嫌全開になる彼の迫力に圧倒されて
未だ聞けずにいるというのが本当のところ。

圧倒されているのと同時に、そんな玲を見るのが楽しくて仕方ないのも
本当のところだが…。


「今時ラブラブとか言うなよ。」

「何で?いーじゃん。ラブラブ。」

「ばーか!」


ペッと勢いよく口に含んだ歯磨き粉を玲は吐き出した。
白くドロッとした液体がベランダの向こうに落ちていく。


「ちょっと!汚いっ」

「いーんだよ。3年ムカツクから嫌がらせ。」

「バレて呼び出しくらっても知らないよー?」

「んなもんクソ食らえだぜっ」


そう言い再びペッと吐く。

春花たち2年の教室の真下は3年の教室があるのだ。
この時間帯は昼休みなだけに春花たち同様ベランダに出ている生徒も多数いる。
頭上から降る得体の知れない液体なんてすぐに気づかれ…


「きったねーな!誰だよっ!?」


春花の思考を遮って、勢いよく真下から罵声が上がった。


「やべっ、隠れろ!」

「え!?ちょっ…」


驚いてビクッと震え上がった春花の腕を素早く引っ張りながら
玲はその場にしゃがみ込む。
ベランダの手すりは上部数センチのみが鉄格子で出来ていて、
その下は単なる壁の造りになっている。
つまり、座り込んでしまえば下の階からその姿を確認することは出来ない。

クックックッと喉を鳴らして笑う玲の背後からはなお罵声が響いて聞こえていた。


「こっちの階に上がり込んでこられたらどうすんの!?」

「だいじょーぶだって。ほら」


キーンコーンカーンコーン……。


玲の言葉を証明するかのように、タイミングよく予鈴が鳴り響いた。


「次俺ら移動だし。上がり込んでこられた所でバレねーよ。」


その言葉にホッと春花は胸を撫で下ろした…のもつかの間。
安心したのと同時に今度は言いようのない怒りと呆れが春花に込み上げる。


「だからって調子のりすぎ!寿命が縮まったよ!」

「あははっ、悪りぃ悪りぃ。
 だって春花が意地悪りぃこと言うからさー」

「はぁ?何でもかんでも私のせいにしな…」

「祭の時に言ったこと、信じてねーんだろ?」

「えっ?」


突然玲の顔から笑みが消えたかと思うと、
そのまま春花を見上げる視線は驚くほど真剣で。
腕を引っ張られながらしゃがみ込んだせいなのか、
見つめられて初めて2人の距離が異様に近いことに春花は気づく。
…が、右腕を強く掴まれたままなため
その場を離れることは勿論、数歩動くことさえ許されない状況。

何だか無性に恥ずかしさに襲われて、
春花は思わず玲から顔を背けた。
何でこっち見ないんだよ?とでも言うように右腕を握る玲の手に力が入る。


「祭で言ったことって…」

「秋穂のことだよ。」


「祭」「秋穂」この2つが共通に示す話題は1つしかない。
玲が呟くように口にした、あの一言…。




俺さー、秋穂とうまくいってないんだわ。




「あれ…ほんとだったの?」

「やっぱ本気にしてねーのかよ。」

「だって…」


あの日、何でと聞けば「なんとなく」と流し、
ケンカをしたのか問えば「してねぇ」と頷き、
連絡してないのかと言えば「毎日してる」と答えた玲。

春花には到底うまくいってないようには思えなかった。
むしろ付き合いは順調だと自慢されたようにすら感じた。

男子と付き合った経験のない春花には、
複雑な恋人関係のことなど分からない。
玲はあの祭以来、その話題に触れることはなかった。
あんな冗談めかした口調を本気に出来るわけないじゃん、そう春花は思う。


「お前だから打ち明けたんだぜ。なのにひでぇよなー」

「ご、ごめん。でも………何で?」

「…………………………」


押し黙ってしまった玲はその切れ長の瞳に空を映した。
秋の空は流れるのが速い。
春花が先ほど見上げた入道雲はいつの間にか姿を消し、
どこからともなく現れた小振りの雲が連なって青いキャンパスを飾っている。




「好きなヤツが…出来そうなんだよ。」


「…………え?」




「玲くんー?」




驚いた春花が顔を上げたのと、
教室の中から声がかかったのはほぼ同時。


「次移動だよー?早く行こうよー?」


鼻にかかった高く甘い声で玲の名を呼んだのは、
他でもない、秋穂だった。

その声に短く返事をして、玲は立ち上がる。
春花の右腕を掴んでいた手を離すと
そのまま制服の裾についた砂を払った。


「玲…今の…?」

「お前も早く行かねぇと怒られっぞ?」

「え…だって」

「先行ってっから早く来いよー」

「ちょ、玲っ」


春花の制止に振り向かず、玲は秋穂に駆寄ると
そのまま肩を並べて教室を後にしていった。
春花は無言でその後ろ姿を見送る。

玲の隣で頬を染める秋穂。
その声に笑顔で応える玲。


「わけわかんない」


他に好きな人が出来そう?
春花は玲の言葉を脳裏で反芻してみる…が、
どう考えてもそれには説得力が足りなすぎる。

秋穂に対するあの笑顔を見た後で信じろと言う方がおかしい。
やっぱりうまくいってるんじゃないか。
引き出しから教科書を引っ張り出しながら、
春花は独り言のように繰り返す。


「……………」


それでも、一瞬見せた真剣な瞳。

そういえば、祭の時もあんな顔をしていた…。


「ほんと、なの?」



春花は自らの右腕を軽くさすった。
玲の掴んでいた感覚がまだ少し残っているような気がする。


玲に新しく好きなひと?


「…だれ?」


キーンコーンカーンコーン…


「あぁっ本鈴!口ゆすがなきゃっ」


考えを遮って響く始業を知らせる音。
春花は慌てて教科書を掴むと、そのまま水道へと走った。



秋風が、切ない香りを運んでくる…。




 to be continued。。。