−2−Summer In 1999



「春花!早く早くっ」


水夏に手を引かれながら、
春花は人混みの中をはぐれまいと懸命に走っていた。

いつもなら星の広がる夜空も今夜ばかりは
様々な光に彩られ、周りからは雑音とも似つかわしい祭囃子が聞こえてくる。
今日は、夏祭りだった。

乗り気でなかった春花だが、水夏から呼び出され
しぶしぶ会場に向かい、今に至る。

辺りからはタコヤキやお好み焼きの良い匂いが漂っていた。
夕食を済ませていない春花のお腹が音を立てる。


「ねー水夏、タコヤキ食べようよ!」

「やだよ。歯に青のりついたらどうすんの?」


前を行く水夏が頬を膨らませて振り向く。
綺麗に浴衣を着こなすその背中はとても華奢で、
長い髪は器用にまとめて髪留めで飾っている。
まさに女の子といった感じだ。

いつもはボーイッシュな水夏がここまで気合いを入れている理由。
それは勿論敦史である。
何でも一緒に祭をまわろうと約束したらしい。
2人きりじゃ気まずいから付き合って欲しいと電話で誘われた。

何で私が…と言いたい言葉は喉の奥にしまい込む。
自分は水夏の親友だ。
断わるわけにはいかない。

それに……単純に敦史に会いたいというのもあった。
こうでもしなければ、夏休み中に敦史に会うことなど不可能だから。
例え辛い恋の行方を見守らなければならないとしても、
敦史に会いたいという想いにかなうものなどない。


「でも私お腹すいたよぉ」

「そんなこと言ったって…あっ!いたいた!敦史ー!」

「!!」


春花への返事も途中のまま、突然水夏が大きく手を振り声を上げる。
途端に春花の心臓がドクンと大きく跳ねた。
数メートル先、かき氷の屋台の下に見付けた敦史の姿。
ジーンズにTシャツ、キャップというシンプルな服装なのに
やけに格好良く見えるのは恋の見せる不思議な力だろうか?


「ねぇ、あたし変じゃない?」


立ち止まり振り返る水夏。
その頬はピンク色に染まり、
水夏には珍しく緊張しているようだった。


「大丈夫。可愛いよ。敦史も見惚れちゃうよ!」

「もぉっ、からかわないでってば///」


ムクレながらも嬉しそうな水夏の笑顔に
本当に敦史が好きなんだなぁと感心に似た感情を春花は覚える。
普段見せない水夏の表情はとても可愛い。
こんな水夏を見たら敦史だって………。

そこまで行き着いて、春花は考えることをやめた。




「ごめんね!遅くなっちゃってー」


駆寄る水夏に手を取られたまま、春花も笑顔で輪に加わる。
ベンチに座る敦史の手には
既に半分ほど食べ尽くしたかき氷が握られていた。
それを目にした春花は思わず声を上げる。


「え?ブルーハワイにミルク?」


敦史が手に持つかき氷には青いシロップの上に
見事な真っ白の液体が飾られていた。


「意外とオイシイんだよ、これ」

「えーなんかマズそー」

「や、イケるんだって。」


キャハハと笑う水夏に敦史がムキになって反抗する。
その様子をどこか冷静に見つめながら
春花は笑顔を絶やさず浮かべていた。
こうして見るとお似合いかもしれない…自分の考えに胸が痛む。


「マジミルクと合うから!春花食べてみる?」

「え…っ?」


突然名前を呼ばれて我に返ると、
笑顔の敦史がかき氷を春花に差し出していた。

ドクンと跳ねる鼓動。
春花の視線は敦史とかき氷とを行ったり来たりしながら
戸惑うように宙をかすめる。

久しぶりに会えた敦史からの言葉。笑顔。
敦史の食べかけのかき氷。
水夏でなく、自分に勧めてくれたことへの嬉しさ。
おずおずと敦史の手から受け取ろうとした…そのとき。


「…………」


春花は気づいた。
自分を突き刺すように見つめる水夏の視線。



………………ダメ、だよ。



「み、水夏食べてみたら?」

「え?」


突然の言葉に敦史が驚いたように目を見開いた。
春花はぐっとお腹に力を入れると、
瞬時に笑顔を造り、顔を上げる。


「私、今お腹いっぱいだからさ。ね?」


そう言って目配せしてみせると、
途端に水夏の表情に花が咲いた。
ほんと素直だなぁ…小さく溜息を零しながらも
そんな水夏を春花は羨ましく思う。

自分には決して出来ないことを
軽々と水夏はこなしてしまう。
そんな水夏を春花は尊敬するし憧れる。
だから、これでいい。
これでいいんだ…。

懸命に自分に言い聞かせながらも、
敦史のかき氷を口に運ぶ水夏を春花は直視出来なかった。
間接キス。
こんなことを考える自分はひどく子供じみていると思う。
けれど一瞬夢見た淡い恋心。
その分だけ…痛い。



「おっまえ本当嘘下手な。」

「!?」


いきなりぐいっと腕を引っ張られる。
突然のことに後ろへ数歩よろけた春花の背中を力強い掌が支えた。

驚いて振り向くと、そこには玲の姿。
声を上げそうになる春花の口に素早く手を当てると
そのままグイグイ春花ごと引っ張り歩いていく。


「ちょっ、どこ行くの!?」

「静かにしろって。あいつらに気づかれてぇのか?」


そう言って玲が指さす方には楽しそうに笑い合う水夏と敦史の姿。
水夏の細い手にはかき氷のストローが握られたままだ。
咄嗟に春花は首を左右に大きく振った。
このまま2人の側にいるなんて出来ない。

春花は黙って俯くと、そのまま身を任せるようにして玲の後に続いた。








「ほい」


祭会場から少し離れた場所に川原がある。
玲に連れられ訪れた土手に座ると、
目の前に小さなパックを差し出された。
中身はホカホカの湯気を立てる、
買ってそれほど時間も経っていないだろうタコヤキだ。


「これ…」

「食えよ。晩飯、まだだったんだろ?」

「何で知ってんの?」

「タコヤキ屋の前で腹減ったとかってゴネてたじゃん」

「み、見てたの!?」

「バーカ!通りかかっただけだっつの」


玲の言葉に何だかなぁと思いながらも
空腹だった春花は遠慮なくパックを開けるとタコヤキを口に運んだ。
途端に温かい味が口の中いっぱいに広がる。


「美味しいっ!」


口の中だけでなく、心まで温かくなるような気がした。
固く閉ざした鎖が少しずつほぐれていくのが分かる。


「そっちのがいいよ」

「何が?」

「お前、作り笑い下手くそだからさ」

「えっ?」

「見ててヒヤヒヤすんもん。よくバレねーよなぁって」

「なっ!?余計なお世話だよっ」

「あははっ」


不思議な感覚だった。
どうしてだろう。
玲には嘘も作り笑いも全て見破られてしまう。
それなのに、何故か玲の隣にいると素直になれる自分がいた。
春花はタコヤキを口いっぱいに頬張りながら、
玲の顔をまじまじと見つめる。


「ねぇ、今日1人で来たの?」

「あ?何で?」

「秋穂は?」

「あー、ばぁちゃんち行ってる。」

「ふーん。」


夏祭りは春花たちにとって夏休み最大のイベントだった。
その祭の日にいないなんて、秋穂も可哀想だな…なんてことを考えながら
春花は風に乗って届く祭の雑音を耳に響かせる。


「お前さーもっと女らしく食えないのかよ。」

「いいじゃん、別に。どうせ玲だし。」

「悪かったな。敦史じゃなくて。」

「ほんとだよ。」


口をタコヤキでモゴモゴさせながら、
春花は空になったパックを手にとり立ち上がる。
お尻についた砂を手で払うと、近くにあったゴミ箱へとパックを投げ入れた。
夏らしい、なま暖かい風が頬を撫でるたびに
春花のショートの髪が揺れる。


「つーか、悪かったな。」

「もうその話はいいってー。」

「じゃなくて。さっきのことだよ。」

「え?」


振り向くと、玲が打って変わった真剣な瞳を春花にそそいでいた。
真っ直ぐと相手を見つめるのは玲の癖。

その射抜くような視線に、春花はまだ慣れない。


「春花に協力するとか言ったのにさ、結局邪魔したみたいじゃん?」

「あぁ…そのこと」


目の前に広がる川原は真っ暗で、
ただ流れる水の音が静かな空気に不気味なほど響いていた。
遠くで聞こえる祭の中に水夏と敦史はいるのだろう。
楽しそうに笑い合って、こんな風にタコヤキを食べているのかもしれない。


「いいよ。あのままだったら、きっともっとしんどかっただろうし。」


あのまま2人を見続けられるほど、春花の心は強くない。
笑顔を保ち続けられるほど、春花は強くなれない。


「だからいいの。逆に助かったよ。ありがとね。」

「………………」

「玲?」

「俺さー秋穂とうまくいってないんだわ」

「え?」


突然立ち上がった玲は足下に転がっていた小石を掴むと
遙か彼方に投げ捨てた。
何秒かしてポチャンと水に落ちた音が2人を包む。


「うまくいってないって…何で?」

「んー何となく。」

「ケンカでもしたの?」

「いや、してねぇ。」

「連絡とってないとか?」

「毎日電話してる。」

「はぁ?それってうまくいってんじゃないの?」


玲は小石を投げ続ける。
それは一回で川に落ちたり、何回か跳ね返って落ちたり、
岩にぶつかって砕けたり、草むらに消えたり。
不規則な音が辺り一面に響いては、まるで玲の言葉を掻き消しているよう。


「優しすぎる女は嫌いなんだよ。」

「何それ。どういう意味?」

「だからお前もあんま優しいと損すっぞ。」

「何言って…」


そのとき。
春花の声を遮るように、大きな音と共に空高く花火が舞った。




「おー綺麗じゃん」


見上げた玲が呟く。

真っ暗だった空に、1つ、2つと大きな花が咲いていく。
赤かったり青かったり、その色は様々で。
すぐ側で上げているのか、散った光が頭上に降り注ぐように見えた。


「春花ってさ、浴衣持ってねーの?」

「浴衣?持ってないよ。」

「じゃぁ買えよ。」

「はぁ?何でそんなこと玲に…」

「浴衣姿に男は弱ぇんだよ。」

「……………は?」

「来年着てくれば、敦史もイチコロじゃん?」

「ちょっ、何すんの!やめてよーっ」


悪戯っ子のように微笑んで、玲が春花の頭を撫でた。
大きな掌に髪をグシャグシャにされながら、
必死に逃げようとする春花の耳に玲の声。


「俺も見たいし。」

「え………」

「来年な?約束!」


小指を突き立て、玲が笑う。
その射抜くような視線は相変わらずで。
春花は玲に気づかれないよう、そっと胸に手を当てた。
鼓動は花火に共鳴するように音を立て続けている。

さわさわと木々を揺らす夏の風。
花火が上がるたびに照らされる玲は、
どこがと言われても困るけれど…少しだけ。
何だかいつもと少しだけ、違って見えた。


「守れるか分かんないからねっ」


強気に突っぱねながら自らの指を絡めたのは
春花にとって、精一杯の照れ隠しだったのかもしれない。

ゴツゴツとした男の子らしい指。
玲の手にはもう何度も触れているのに。
何だかこの時ばかりは特別な気がして、
春花は玲の目を見ることが出来なかった。




 to be continued。。。