「すっごく美味しいっ」


運ばれてきたカルボナーラをフォークに絡ませパクリと頬張る。
途端に舌先に広がった濃厚な味に思わず叫んでしまったあたしを
嫌な顔ひとつせず、にっこりと微笑むあなた。


「だろ?ここ、俺の一押しパスタ屋なんだよね。」


並びの良い白い歯が何ともサワヤカで、
思わずクラクラ。目眩がしちゃう。

だって、こんなお洒落なお店でデートだなんて
なんだかドラマみたいじゃない?
夢のような展開に、さっきから顔が緩みっぱなしだよ。


「まさか雅之さんから連絡くれるなんて、嘘みたいです。」

「え?なんで?」

「だって、ずっと待ってたから。」


好きと言う気持ちは隠さない。
それがあたしの主義。

成功率は決して良くないこの戦法だけど、
これをあたしは変えるつもりないの。

だって好きなもんは好きなんだもん。
すっごくシンプルだけど、それって一番大事なことでしょ?


「アハハッ世里ちゃんは本当可愛いなぁー」


気づいているのかいないのか。
ううん、本当は絶対気づいてる。あたしの気持ちに。
それでも大人な雅之さんは話題を流すのがとっても上手い。
あたしも本気の告白をしたわけじゃないから、
別にいいんだけど、ね。


「どうしてあたしを誘ってくれたんですか?」


それでもやっぱり知りたい。聞きたい。
あなたの気持ち。

『変化球』という言葉知らずの辞書を持つあたしは
いつでも直球。真剣勝負。
いつだって上手な彼だから、
尚更聞きたいことはストレートに言葉にしないと、きっと返ってはこない。
それがこの1時間で学んだこと。


「だって男1人じゃ入りにくいだろ?こういう店って。」

「そう…ですよね。」


…絶対わざとだ。

またしても上手く逃げられてしまった。
あたしが聞きたいのはそういうことじゃないのに。
それはきっと雅之さんだって分かってるはずなのに。

それともこれが答えなの?
オンナノコなら誰でも良かったってことなの?


『今日、会えるかな?』


たった1言に慌てて駅に急いだあたしのこと
彼は見透かしてメールを送信したのだろうか。
だとしたら、大人ってズルい。
あんなどうとでも取れるメールに、期待を持たないわけがないよ。

待ち合わせ場所までの20分。
その間頭の中を巡る恋愛シミュレーションは
完全に、彼とあたしの2人の世界。
ぐるぐるとリプレイされるその映像に洗脳されて
気が付けば。
コートを揺らして現れた笑顔にノックアウト。
一瞬で、自分の気持ちを再確認した。





『あの、これ拾ったんですけど。』


駅員さんと頭を抱えること30分。
突然背後から登場した彼、雅之さんは
あたしの生徒手帳を持つ右手とは逆の手で、
いとも簡単にあたしの心を奪ってしまった。
まさに運命の出会い。

なんとか言い訳を絞り出して、携帯番号の交換までこじつけたあの日。
高鳴る鼓動を子守歌にあたしは携帯を握りしめたまま眠りについた。

一向に鳴らない、勝手に指定した彼だけの着信音。
何度もメールを送ろうとして。
でも学生のあたしにはイマイチ社会人の生活リズムが掴めない。
今送ったらマズイだろうか?そんなことばかり考えて過ごしたその3日後。
つまりは今日、ついにあのメールが届いたんだ。




もう待つのは嫌。
待つだけなんて性に合わないの。
次はいつ会えるかなんて分からない人だから。
だから――――――






「今夜、一緒にいてもいいですかっ」


店を後にして10分。
あたし達はブラブラと駅までの道を肩を並べて歩いていた。
過ぎる車のランプに照らされる横顔に鼓動が加速していく。

思い切って立ち止まったあたしを不思議そうに振り返ったあなた。
その瞳に決心が鈍りそうになるけれど。
もう今しかない。
女の子から言う台詞じゃないのは百も承知。
それでも、こうでも言わなきゃきっとあなたの笑顔は崩せないから。


「…世里ちゃん?」


ずっと余裕の笑みを浮かべていた表情が
今日初めて戸惑いに揺れている。
大人な彼だから、言葉の意味なんて一瞬で分かったはず。

そう。オールでカラオケでもどうですか?なんて
高校生ノリで言ったわけじゃない。
あたしだってちゃんと分かってる。
怖じ気づく心が握りしめた掌に伝わり、震える。
それでももう戻れない。
『怖い』って気持ちの何倍も、
あたしはあなたと一緒にいたいと思うんだよ。


「あー…っと、でもホラ、もうこんな時間だよ?」


彼の肩までしか背のないあたしにも見えるように
少しだけ屈んで見せた腕時計。
文字盤を飾る9時の知らせと、その間ふわりと香った大人の匂いに
二人の距離を突きつけられた気がした。


雅之さんにとって、あたしはコドモでしかないんですか?


「まだ、平気です。」


あなたの言う『オンナ』の中に、あたしは入りませんか?


「こんなオジサンと居たら心配するんじゃない?親とか。」


あたしの思いを裏付けするような笑みと言葉に
胸の奥がぐっと詰まって何だか息が出来ない。

好きじゃなくてもいいから。
本気じゃなくてもいいから。


「雅之サンはオジサンなんかじゃないですっ。
 だってあたしは―――」



あたしを、女として見てください。



初めて触れたあなたはとても冷たかった。
それはきっと煙草を吸う人特有のもので。
大人の証で。

言葉を塞ぐように押しつけられた掌が
あたしの体温をほんの少し奪って。
それと同時に頭の中までスーッと冷たくなった気がした。


「ごめんね世里ちゃん。そこから先は聞けない。」


本当は分かっていた。
だって、彼が香らせた匂いは女モノの香水だったから。
1人でパスタ屋に入れない彼が
1人で女性用の香水を買えるはずはないから。

気が付けば、悲しそうに微笑む彼に背を向けて
あたしは夜の街を駆けだしていた。
受け入れて貰えないことが辛かったんじゃない。
雅之さんの視界にすら入れない、コドモの自分が情けなかっただけ。


早く大人になりたいっ


こんなにも未来を望んだことなんてなかった。
けれど、心とは裏腹に頭は妙に冷静で
この恋が実らず散った原因が歳だけではないことも
気づいてしまっていた。


「こんな時ばっかり頭が回るなんてね。バカみたいだよね。」


呟いた独り言が、
春先の寒さを受け止めきれずに白く染まって空へと消えていく。
頬を伝う涙が凍り付きそうな身体を更に冷やした。
心はもう冷え切っていた。


「またフラれちゃった…っ」


何度失恋しても、決して慣れない心の痛み。
拭っても拭っても涙が止らない。


好きだと言わせても貰えなかった。


どうしてだろう。
どうしていつも上手くいかないの?
多くのことなんて望まない。
ただ、好きな人に好きと言って欲しい。
それだけなのに…っ。


優しくされると好きになる。
受け入れて貰えない恋は辛い。
そう分かっているのに、
それでも誰かに優しくされたいあたしはワガママですか?


「………?」


ふと耳に届いた聞き慣れない音に顔を上げれば
駅から随分と離れた場所まで来ていたことに気づく。

大通りを外れた路地。
過ぎる人たちは皆早足で、
それぞれの居場所に行き急いでいるようだった。

そんな中立ち止まるあたしと、もう1人。
背の高い男の子がギターを抱えて唄っている。

聞いたことのないメロディー。
きっと彼のオリジナルなんだろう。
歌うその唇からは白い息が漏れ、
ピックを握る指先が赤く染まっているのが見えた。

彼の前にお客さんは誰もいない。
ただ、決して通行人の邪魔にならないよう道の隅っこで。
誰1人立ち止まらない現実を真っ直ぐ見つめている。
それなのに
その瞳には光が溢れていた。


「…………どうして?」


どうしてそんなに一生懸命になれるの?
自分の歌を認めて貰いたいとは思わないの?

…辛くないの?



「………………あ。」


ブラックジーンズの足下。
彼の履き古したスニーカーに寄り添うように
小さな花が咲いている。

そっか。
沢山じゃなくてもいいんだね。
小さくても、あなたの歌を好きと言ってくれる誰かがいれば。


「あたしにも…いるかなぁ…」


1人でいいから。
あたしを好きと言ってくれるひと。
そんな誰かに出会える日がいつか来るのかなぁ。


「…っく、ふぇ…っ」


彼の歌は全部が英語の歌詞で、
バカなあたしには何を言っているのかさえ聞き取ることが出来なかった。
それでも不思議と伝わってくる温かさに
あたしは膝を抱え、大声で泣いた。
さんざん泣いて叫んで、気が済む頃には
自慢の二重も、彼の指と同じくらい真っ赤に腫れていたけれど。
涙を流している間中流れていた優しい歌が
心の傷をほんの少し、癒してくれたような気がする。

広い広いこの世界で、1人くらいきっといるよね。
あたしを好きと言ってくれるひと。
心の底から好きだと言えるひと。
今日言い損ねた愛の言葉は、その誰かの為にとっておくことにするよ。

だから、雅之さん。
今はまだ無理だけど。
もしその誰かに出会えた時は、きっとあなたにお礼を言うから。
あの時言わなくて良かったって、思えちゃうくらい。
そのくらい、幸せになってみせる。

思い切り見上げた夜空の下。
駅に向かって歩き出したあたしの向こうで
ギターケースがパチンと閉まる音がした。



end?




***あとがき***
「愛する花」の冒頭で雅之にフラれていたのはなんと!
「恋して死にたい」の世里ちゃんでした。
雅之さん益々嫌な男です(笑)
個人的には雅之好きですけどねー。
かずひろくんとの出会いも書けて、かなりの自己満です。

時間軸で言うと

小さな花 → 愛する花 → 恋の花
  ↓
恋して死にたい

ですかね★