「今夜…一緒にいてもいいですかっ」
暦の上の春を迎えても、未だ寒さの残る冬の日。
会社帰りの俺を引き留めた小さな手は
懸命に、俺を好きと言っていた。
愛する花
「あー…っと、でもホラ、もうこんな時間だよ?」
俺の肩までしか背のない彼女にも見えるように、
腕の時計を傾けて苦笑する。
学校帰りの彼女をデートに誘い、
夕食を共にした帰り道。
時刻は9時を過ぎたばかりで
真っ直ぐ帰るにはまだ早い…けれど、
さすがに制服姿のまま
飲み屋街に連れ出すわけにもいかなくて。
「こんなオジサンと居たら心配するんじゃない?親とか。」
勿論彼女の吐いた言葉の意味が、分かっていないわけはない。
けれどもそれをあえて濁すのは、大人としての優しさ。
…いや、大人のズルさの方が正論かな。
「雅之サンはオジサンなんかじゃないですっ。
だってあたしは―――」
「ごめんね。そこから先は聞けない。」
「雅之さ…」
今にも泣き出しそうな彼女の口元に手を添えて微笑んだ。
ほんと、どこまで俺は残酷なんだか。
けれど、突き放すのもこの子のためだと思った。
だって俺は君の気持ちに応えてあげることは出来ないから。
逃げるように駆けていく小さな背中。
以前彼女の生徒手帳を拾ったことで俺たちは知り合った。
あからさまに好意を示してくる彼女に対して
下心がなかったわけじゃない。
けれど、こんな俺にも一応あるらしい理性というやつが
一線を越えることを許さなかった。
「犯罪になっちゃうもんな。」
7つの年の差も気になるが
何より相手がまだ10代というのはマズイだろう。
しかも現役女子高生。
据え膳食わぬは男の恥と言うけれど、
さすがの俺もお手上げってところ。
「こんなとこアイツに知れたら呆れられんだろーなぁ。」
罪悪感に浸りながら煙草をつければ
脳裏に浮かぶ冷たい視線。
『うわっ、サイテー』
汚いものでも見るような顔してきっとこう言うんだ。
「くくくっ」
堪えきれず煙と一緒に笑みがこぼれた。
***
「俺さー、昨日女子高生に告られちったよ。」
社食の隅っこに座る姿を目ざとく見付け、
まんまと隣を確保することに成功した俺は
早速昨晩の出来事を味噌汁をすする横顔に披露することにした。
「マジで?よくこんなおっさん相手にするよねー。物好き。」
「おっさんじゃねーよ。まだ23だぜ。」
「今年で24じゃない。」
「お前だってそうだろー。」
ツレない態度は相変わらず。
俺たちの憎まれ口は世間一般で言う『こんにちは』みたいなもん。
だから特に何を言われても気にしない。
そんなアッサリした関係は入社以来の仲で
俺的には結構居心地が良かったりするわけだけど。
「どーせ、またあんたが思わせぶりなことしたんでしょ?」
さすが3年目の仲だけあって大抵のことがお見通し。
自他共に認める、いわゆる『タラシ』の部類に値する俺だから
こいつに話した女の名前は既に数え切れないほど。
「でも今回は食事しただけだぜ?」
「相手は食事しただけでも期待しちゃう年頃なのよ。」
「そういうもん?」
「あんたねー。どうせ手ぇつけるならもっと軽い女にしなさいよ。
真剣な子の気持ち弄んじゃ可哀想じゃない。」
実は、こいつの説教を聞くのが結構好きだったりする。
呆れたり。怒ったり。母親みてーな顔したり。
コロコロ変わる顔を見るのは面白い。
その変わりようと言ったら
どうやったらそんな顔になんの?ってくらい。
だからつい面白くて余計に怒らせるようなことを言ってみたりする。
なんつーかな。
好きな子ほどイジメたくなるってやつ?
そんなこと言ったら小学生だとかってまたバカにされるけど
男なんてみんなそんなもんじゃん?結局進歩しねーんだよ。
「ちょっと聞いてんのっ!」
「…あ、わり。」
「………………」
呆れたような溜息の後、プイッと背けた横顔。
その健康的な肌色にほんの一瞬、触れたい衝動に駆られる。
箸を握った掌に力を込めた。
だって俺たち『友達』だもんな。
確かに女にはダラしない俺だけど。
心ん中にあるのは結局いつも1つだけのような気がすんだ。
「雅。」
お前だけ、なんだよ。
「雅、こっち向けよ。」
出会って3年。
仲むつまじく友達ごっこなんかしてんのも全部全部全部。
お前が好きだからだ。
お前に届かない想いを他の女にぶつけている。
…なんて言ったら綺麗すぎだよな。しかも言い訳っぽいし。
結局さ。
俺はお前を失うことが怖いから言えずにいるだけなんだよ。
お前はいつも、他の男を見ているから。
「だーもう。うるさいわね!黙って食べなさいよっ」
「んだよっ。そんな言い方ねーだろ。
あんま怒るとシワ増えるぞ。」
「余計なお世話。
あんたこそ、あんまり私を怒らせるとハゲるわよ。」
「何だよそれ。関係ねーだろ?」
冷め始めた肉をつつきながら、大袈裟に溜息を吐けば
口喧嘩はしばし休戦とばかりに
2人の間をやけにまったりとした空気が流れ始める。
俺と雅は時折こんな風に会話のない時間を共有することがある。
特にお互い何も話そうとせず、
かと言って席を立とうともせずにゆるやかな流れに身を任せる。そんな時間。
こいつがどう思ってんのかは分からないけれど、
少なくとも俺は、それを苦痛に感じたことはない。
それってさ、すごくねぇか?
口喧嘩すら楽しくて、無言の時間が苦痛にならない。
まさに理想の結婚相手。
…なんて気が早すぎか。
でもさ、俺はお前と一生一緒に居たっていいと思ってんだぜ。
そう言ったら雅はどんな顔をするだろう。
『バカじゃないの』
きっと。口の先を困ったように尖らせて、
可愛げの欠片もない台詞を投げるに違いない。
最後に残った豆腐を口に放り込んで
昼前に聞いた同僚の言葉を思い返す。
雅が彼氏にフラれたらしい。
確かに同僚はそう言っていた。
入社以来ずっとそうだった。
今の関係を壊すのにビビッて怖じ気づく俺をあざ笑うかのように
雅は新しい恋をしていく。
俺以外の男と恋に落ちていく。
そのたびにこいつは綺麗になっていく。
オンナになっていく。
もうそんなのウンザリなんだ。
他の男の為に綺麗になっていくこいつを
側で見てるだけなんて、もう耐えられない。
ツボミだったはずの君が花開いて、いつか散る前に。
「なぁ雅。」
「うん?」
俺の、オンナになれよ。
「仕事終わったら、飲みに行かねぇか?」
end?
***あとがき***
「恋の花」の雅之バージョンですね。
時間設定で言うと、「恋の花」より前です
これから2人は飲みに行きます。
こういう喧嘩友達みたいな会話を書くの好きです。
雅之タラシだけど、心は一途vみたいな所が好みです(ぇ)
「身体と心は別モノ」っていうのは彼のためにある言葉なんだと思います(笑)