彼、真人と付き合い始めたのがちょうど1年前の今日のこと。
好きだから付き合ってほしい。
そんなシンプルな言葉だったように思う。

マメでない真人の性格と、
お互い忙しいせいもあって、
決して派手な付き合いではなかったけれど。
それでも私はそれなりに幸せだったし、
彼も彼で私を大事にしてくれた。


けれど、それも長くは続かない。
いつからか2人でいることが当たり前になっていて。
その当たり前というヤツが、
いつのまにか退屈という言葉に置き換わるまで
そう時間はかからなかった。

いわゆるマンネリ。倦怠期。
あれほどまで仲の良かった2人なのに、
今では電話で連絡を取り合うことさえ
避けている虚しい現実。


「今日こそちゃんと話し合おうと思ってたんだけどなぁ。」


暇つぶしに開いたパソコンの画面を
マウスで適当に操作しながら、
私はグラスを片手にワインを舌先で転がす。

私にワインの趣味はない。
だから、味の善し悪しが分かるわけもなく、
1つ言えることは無理して買ったぬるい高級ワインが
とてもマズイということ。

ヴィンテージものって言うの?
数十年前の今日に作られたワインなんだって。
二人で乾杯しようって言い出したのは私だったか彼だったか。
少なくとも、そんなのとっくに真人は忘れているだろうけど。

いつの間にか、カーテンの向こうでは
窓を叩く水音がやけにリアルに部屋の中へと響いていた。
少しだけ肌寒い雨の夜。
こんな日は、決まって少しだけ悲しい気持ちになってしまう。

記憶の片隅に強く残るあの人が、
私をあの日に連れ帰ってしまうから…。






あれは確か1年と少し前のこと。
その日も、こんな風に雨の降る肌寒い夜だった。

その年大学を卒業し、社会人になったばかりの私は
未だに仕事に慣れることが出来ずに
ただ忙しなく動き続ける毎日から取り残されることのないようにと
それだけを考えて必死に走り続けていたように思う。

この日、私は信じられないような大ミスをした。
依頼された仕事を丸々報告し忘れていて、
何も手を付けていないまま、期限を過ぎてしまったのだ。
殴りかかられる勢いで上司に怒鳴りつけられ、
散々説教された挙句、もう帰れと、
ただ1言を突きつけられた私は定時に会社を後にした。
事実上のクビだった。

力無くアスファルトを踏みしめる私に
何人もの通行人がぶつかり、罵声を飛ばした。
そのたびに私は頭を下げた。
彼らに謝ることで、私のミスの尻ぬぐいをしているであろう先輩たちに
謝罪の言葉を届けているような、そんな気がしていた。


ふと、見上げた空から小さな雫。
「雨だ…」
隣で同じように空を見上げる女性が呟いた。
慌てて駆け出す人の波を何だか他人事のようにして
私は見送っていた。
あっという間に雨は大降りになっていく。


私は失望した。
私は私に失望していた。
悔しくて悔しくてたまらなかった。
しゃがみ込んで膝をかかえた私のスーツが
容赦なく叩きつけられた雫で、大きな染みを作っていく。
惨めだった。
このままどこかに消えてしまいたいと、そう強く思った。




「風邪、ひきますよ」




ふと頭上から聞こえた声と同時に
背中に感じる温かな体温。
すぐに、誰かの掌だと分かった。

雨と涙でグシャグシャになった顔を
上げられずにいる私の耳に、
今度は少しずつ遠ざかっていく足音が飛び込んできた。
慌てて顔を上げた視線の先。
降りしきる雨の中、青い傘が人波に消えていく。

背中に置かれていたのはチェックのハンカチ。
小さな声が耳に届いたような気がした。
「元気だして」
情けなくて惨めでどうしようもない私への小さなメッセージ。
雨に滲んでいくハンカチを握りしめて私は泣いた。
背中に置かれた掌の温かさだけが、
やけにリアルに私を包んでいた…。






「初恋プロデュース…?」


ワインのボトルが丁度半分ほど空いたころ
ふらふらとネット内を彷徨っていたディスプレイに
淡いグリーンで統一されたページが映りこむ。
その上部中央には大きな文字で
「初恋プロデュース」と書かれた文字が存在を主張していた。

普段ネットはあまり活用しない。
仕事上ではどうしても避けて通れない道のため、
必要最低限の知識は兼ね備えているつもりだが。
プライベートでは親しい友人とメールを交わすくらいだ。

元々ネットというものにあまり興味がない。
生身の人間ならともかく、こうした非現実的空間で
誰かと会話したり、ましてや出会うなどとは考えられない。
そう思っていた。

なのに、どうしてだろう。
「初恋プロデュース」という聞き慣れない言葉が
何故かとても気になった。
気づいたとき、私はメニューページの最初の項目。
「初めての方へ」と書かれたリンクをクリックしていたのである。



インフォメーションページのトップでは
「同じ空の下、どこかで君を想う人がいる」
そう並べられた文字が私を出迎えてくれた。
続く先には数行スペースが空いていて、
そのあとはざっとこのサイトを説明する文章が連なっている。

どうやらこの「初恋プロデュース」というHPでは
「忘れられない人探し」というものをやっているようで。
あらかじめ自分のデータを登録し、
想い人への匿名メッセージを残すことで
愛のキューピッドとはいかないまでも
今はどこで何をしているのかすら分からないでいる二人を結びつける。
その一役をかっているそうだ。

とは言っても探偵のように相手を捜し出すわけではなく。
相手が偶然にこのHPを発見し、偶然にメッセージを読み、
そのメッセージが自分に向けられたものだと気づかなければ
恋の成就は成立しない。
かなり確率の低い想い人探し。
その確率の低さが運命的出会いを唄っていて魅力的。ということなのか?


「初恋ねぇ」


今更初恋などと言われてもやはりピンとこない。
人並みに淡い想いを抱いた頃もあったが、
それと今の生活とは全くの別物だからである。
何年も経った今、初恋相手と再会したところで
どうなるとも思えない。
どんな風に好きだったかさえ覚えていない相手なのだから。


「どこかで君を想う人がいる…」


もし、私がここに登録したとして。
真人に匿名メッセージを残したとしたら。
そうしたら彼は私に気づいてくれるだろうか。


「……………。」


もし私が真人宛てにメッセージを載せたところで
真人が気づく可能性なんて目に見えている。
きっと1%にも満たないはず。

第一、真人は私以上にネットというものに興味がない。
忙しい人だから、仕事以外で優雅にパソコンに向っていることなんて
全くといってないだろう。
もしそんな時間があったとしても、
真人がこのHPを見付けるはずがない。
偶然に見付けることがあったとしても、
きっと素通りするはずだ。

彼は過去を振り返らない。決して立ち止まらない。
そういう人。


「………馬鹿らしい。」


そう呟いて、HPを閉じようとした時、
再び目に飛び込んできた「想い人」の文字。

私が捜したい人は
私がメッセージを託すのは、本当に真人なのだろうか。






同じ空の下、どこかで君を想う人がいる





「忘れられないひと…」




あの雨の日の出来事が、
やけに鮮明に脳内でリプレイされ始める。
私はまるで優待席にでも案内された気持ちで、
その流れる映像をただ見つめる。

あれがあったから、私は立ち直ることが出来た。
あの出来事があったから、今の私がいる。




「会いたい…」



このとき、私が会いたいと思ったのは
真人でも、初恋の人でもなく。
雨の日に出会った顔も知らない彼だった。

マウスを握る手が終了ボタンから
登録ボタンへ滑るように移動する。
軽く息を吐き、深く吸い込んだところでクリックした。

夢中で打ち込んだ文章は
ちゃんとあの日を説明していただろうか。
たったこれだけのメッセージで
彼は私に気づいてくれるだろうか。

様々な不安や期待が一気に全身を駆けめぐったけれど。
時間が経てば興奮した気持ちもある程度落ち着きを取り戻すもの。

返事なんてこない。
そんなの初めから分かっていたこと。
それでも良かった。
もしかしたら、彼が気づいてくれるかもしれない。
私にとってはそんな些細な希望を持てるだけで良かったのだ。
腐りきった日常から抜け出すには、たったそれだけで十分だった。




…はずなのに。





小さな偶然が大きな運命を引き寄せる。
この日ただの思いつきで載せた私のメッセージに返信が届いたのは
それから4日後のことだった。






 to be continued。。。



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