忘れられない人がいる。

顔も名前も分からない、本当に何も知らない人だけど。

どうしても、この頭から、この心から、

今もなお離れずに強く在り続ける人がいる。

もう一度、会いたい。

あなたは今、どこにいますか?




HATSUKOIproduce



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『もしもし?あ、俺やけど。久しぶり。』


仕事を終えて自宅に帰ると、
珍しく備え付けの電話の留守電ランプが青く点滅していた。
手に持ったビニール袋を
フローリングの床に半ば叩きつけるようにして置くと
無理して購入したワインのボトルがゴトリと鈍い音を立てる。


『今日も残業なん?
 携帯繋がらへんかったけど、充電切れてた?』


留守電の言葉に鞄から携帯を取り出すけれど、
電波はバッチリ3本。
電池も十分余裕がある。

昼前に取引先と長電話をしたせいであろう。
ファンデーションがべっとりとついたディスプレイには
不在着信も、メールも、外部からの接触を告げるものは
何1つ残されてはいなかった。

メールの問い合わせをするのも何だか酷く虚しい気がして、
そのまま二つ折りにすると、近くのソファに投げ捨てる。


『実は、さ……………』


何だか長くなりそうな気配に少しだけウンザリしながら
ストッキングに手をかけると、
伸ばしかけの爪にひっかかったのか細い筋が柔らかな生地に走る。
チッと軽く舌打ちした瞬間、
沈黙の続いていたメッセージに一方的に終わりを告げる音が響いた。


『あ、ごめん時間切れや。えっと…』


一回目のメッセージが終わった直後に始まる2回目のメッセージ。
気まずそうな沈黙は相変わらずで、私は再び舌打ちをすると
やぶれたストッキングを半ばヤケクソで脱ぎ捨てる。


『今日さ、打ち合わせが入って、行けなくなった。
 …ごめん。』


はじめから用意されていたような台詞を口にする。
演技と呼ぶにもほど遠いその口調は
呆れを通り越して笑ってしまうくらい。

今更怒りなんて湧かない。


『近々行けると思うから。また今度連絡するよ。』


以前の留守電も、同じ言葉で締めくくられていた。
あの日から今日まで数週間の時間が流れている。
一体彼の『また今度』とはいつのことだろう。
カレンダーを目にすることすら面倒になる。


『あ、そうだ。』


何かを思いついたような声に、
青いボタンへと伸ばし駆けていた指を止める。

今更何を期待するというのか。
打ち合わせと称して浮気の1つでもしているであろう男に。
わざわざ私の就業時間中に、それも携帯ではなく自宅の方へ
電話してくるような男に。



『…1年、おめでと。』



ツー…ツー…ツー…



無機質な音が部屋中に響く。

負けた、と思った。
何を迷う必要があったのか。
さっさとメッセージなんて消してしまえばよかったのだ。
そうすればぬるくなったワインを口にすることだって出来た。
下ごしらえしておいた食材の仕上げをすることだって出来た。
一人暮らしには豪華すぎる料理も、
テーブルの上に置かれた小さなプレゼントにも、
『忙しさに流されて忘れてしまってるんだ』
そう言い訳をすることで我慢出来たのに。



彼は覚えていた。



覚えていて、あえて私を避けた。




今日は、彼と恋人になって1年を迎える
記念日になるはずの日だった。




 to be continued。。。


2005/07/23