「はじめまして、というのは逆に不自然でしょうか。

 かと言ってお久しぶりですというのも何だか変な感じですね。

 あなたのメッセージ、読みました。

 まさかこんな所で出会うとは思わなかったので

 とても驚きました。

 あれからどのくらいの時間が流れたのでしょう。

 正直、あの日の出来事は僕の中から忘れ去られていたんです。

 このメッセージを読むまで。

 すぐに分かりましたよ。

 これを書いたのが、あの雨の中で泣いていた女の子だということ。

 何だか改めて言うのも照れてしまいますが、

 僕もあなたとゆっくり話してみたいです。

 会いたいです、あなたに。」




HATSUKOIproduce

Last







待ち合わせは都内の小さなレストラン。
週末の夜とあってそれなりに混雑している。

今日あった出来事でも報告しているのだろうか。
途切れぬ話題を一生懸命口にする幼い男の子に
隣と向かいに座った両親が嬉しそうに頷いている。
違うテーブルでは幸せそうに微笑みを交わす恋人たち。
その奥では仕事帰りであろうOLがシャンパン片手に
上司の愚痴に花を咲かせていた。

このレストランは何度か利用したことがある。
それは会社がこの近くにあるからなのと、
結構なフランス料理にもかかわらず
格安の値段でランチが食べれることが理由だ。
ひっそりとたたずむ穴場的な雰囲気が好きで
同僚とよくお昼休みに訪れていた。

腕の時計を確認する。
7時50分。待ち合わせ10分前。
手持ちぶさただからと頼んだワイン。
相変わらず味の善し悪しは分からないけれど
こんな店で出すくらいだから、
きっと高価なものなのだろう。

ワインを見ると、必然的に思い出す
素っ気ない恋人。
あれからも一向に連絡のない薄情な男を
どうしてこんな時に思い出しているんだろう。
何だかんだ言いつつ結局真人を許してしまう自分自身に腹が立つ。

私は首を数回左右に振ると、
そのままワインを喉に流し込んだ。
独特の香りが鼻につく。
やはりワインの良さは分からない。



「あの、雨音…さん?」



携帯を取り出そうと鞄に視線を落とした所で
ふいに声をかけられた。
一瞬何のことだか分からなかったけれど、
それはすぐに1本の糸で結びつく。
私はサイト上で、自分のことを雨音(あまね)と名乗っていたのだ。

ドクンッと大きく跳ねた私の鼓動。
あの時の彼が目の前にいる。
私の人生を大きく変えた彼が。
私を救ってくれた彼が。
今、目の前に…。



私は1つ息を吐くと、背筋をしゃんと伸ばし、
俯いていた顔を上げた。
視線の先に待っている彼をきちんと視界に映すために。

しっかりと、自分の気持ちに向き合うために…。





「え…?」




「瑞来…?」








ところが、顔を上げた私を待っていたのは
運命の出会いでもなく、
奇跡の再会でもなく、
ましてや落胆やトキメキなんてものでもなく。

隣のグラウンドでピッチャーの投げたボールが
大通りを偶然横切るトラックの車体で跳ね返って
私の頭を直撃したような。そんな感じ。
驚きと、そんなはずはないとでもいうようなショックと、
多少の罪悪感。

瑞来(みずき)というのは私の名前で、
もちろんメッセージに載せた覚えもなく。
個人情報の流出か!?とでも疑えばよかったのだろうか。
だけど、私はそんなユーモアたっぷりに冗談を飛ばせる人間じゃない。



目の前にいたのは、真人だった。




「何で瑞来が、こんなとこおんねん。」

「真人こそ…」


高校卒業時まで関西に住んでいたため、
彼は今でも時折関西弁を口にする。
とは言っても東京生活がそこそこ長くなったせいか
標準語と関西弁が混じったそれは
彼に言わせると純粋な関西弁ではないらしい。

東京生まれの東京育ちな私から言わせれば
それは間違いなく関西弁で。
関西弁に純粋とか不純なんてあるの?と一度聞いたことがある。
私の質問に真人はただ困ったように笑っていた。



「俺は…待ち合わせで。」

「私だって、………待ち合わせよ。」

「そっか。」

「うん。」

「…………」

「…………」



テーブルの前に立ちつくしたままの真人を
レストラン内にいる客たちはどこか怪訝そうな顔つきで
視線を送り始めている。
グラスに水を注いだウェイターが、
真人の着席を今か今かと待ちわびているのが
手にとるように分かった。


「とりあえず…さ、座れば。」

「ええの?」

「どうぞ。」


真人が着席すると、待ちかまえていたような素早さで
ウェイターがグラスとメニューを置いていく。
彼は私のワインを指さすと、「それと同じものを」と
オーダー用紙を持つ手に告げた。



「珍しいな。瑞来がワインなんか飲むの。」


ネクタイを片手でゆるめながら
テーブル脇に置かれたワインボトルを手に取る。
ラベルに視線を流す彼の唇は
声を出さずに「ふーん」と動いた。

ワインを知らない私なんかにはそのラベルの意味なんて
やっぱり分からないけれど。
ワイン好きにとってみればそれはとても重要な意味を持つようで。
こうして見ればなるほど様になっている。


「シャンパン派やなかったっけ?」

「別に。何となく今日はそんな気分だったの。」

「へぇ…」


当たり障りのない話題をあえて選び、口にする。
それは話の流れを変えない真人もどうやら同じのようで。
大きすぎるグラスに入ったワインを持て余し気味な私は
窓から見える東京タワーの明かりをぼんやりと
ただ、視界に映していた。









「ネット、嫌いやなかったの?」


くだらない世間話の壁を砕いたのは
意外にも真人の方だった。
彼がこの店に来て20分後。
前菜のサラダに口をつけたところだった。


「どういう意味?」


真人の言いたいことなんて分かっている。
もしここで真人が何も言い出さなかったなら、
きっと同じ質問を私の方から口にしていただろう。

だけど、もし私から同じ質問をしたところで、
きっと真人も私と同じ返答をするに違いない。


「意味って…そんなん1つしかないやん。」

「分かんないよ、それじゃ。ちゃんと言って。」

「お前ふざけてるんか?」


少しずつ少しずつ真人の声に苛立ちの色が滲み出てきている。
その怒りが何を意味するのか。
さすがの私にも、そこまでは汲み取れない。


「何企んでんねん。雨音さん?」

「………………」





そう、私はここで真人と待ち合わせしていたわけじゃない。
あの雨の日、私を救ってくれたあの彼を待っていたのだ。
なのに待ち合わせ場所へ現れたのは真人。
直接会うのは数ヶ月ぶりだった。

こんな形で会いたくなかった。




「真人こそ、どういうつもりなの?
 私のことからかって楽しい?」

「はぁ?」

「だってそうでしょ。初めから私だって分かってたくせに。
 じゃなきゃ真人がここに来るわけないじゃない。」

「何言って…」

「どうやって調べたの?あのメッセージの送信者が私だってこと。
 興信所?それともまさか盗撮とか…」

「瑞来っ!!」


ガンッと鈍い音が狭い店内の中に響いた。
驚いた客や従業員が振り返る。
それは真人がテーブルを叩きつけた音。
大きな拳がブルブルと震えている。

彼は怒っていた。
これほどまでに彼が怒りを露わにしたのは
出会って初めてのことだった。


「お前…それ本気で言ってるんとちゃうよな?」

「…………………」

「なぁ」



勿論本気なわけがない。
真人がそんな人じゃないことくらい知っている。

分かっていた。

これは互いが互いに気づかずに起こった出来事。
真人は雨音が私だと気づかなかった。
私は彼が真人だと気づかなかった。

そう。あの日彼が見た私は膝を抱えて泣いていて。
私が見た彼は青い傘をさす後ろ姿だった。


なんてことだろう。
私を救ったあの背中は、あの掌は……





「真人だったの……?」





私たち、もう出会っていたの…?




「みたい、やな。」



あんなにも際立つように輝いていた東京タワーは
溢れかえる車のライトに紛れて
その効力を失いつつあった。

運ばれてきた魚料理に手を付けられずにいる私を
一瞬気遣うように真人は苦笑して。
ナイフとフォークで自らの皿に盛りつけられた
魚を丁寧に切り分けていく。


「全然気づかへんかった。
 つーか顔見たわけやなかったしな。」

「うん。私も…真人の後ろ姿しか見てなかったし。」

「なんか、不思議なもんやな。あれ、瑞来やったんか。」

「………。」


私はただ頷くことしか出来なかった。
今となっては彼が真人だと分かっても、
メッセージを載せた時、私は彼を真人とは思っていなかった。
それは真人も同じはずで。
雨音を私だなんて微塵も思っていなかったはず。

他の男宛にメッセージを載せた私。
雨音に会いたいと言った真人。


「あのとき、何で泣いてたの?」

「……」

「言いたくない?」

「…会社をクビになったの。」

「クビ?」

「大きな依頼を丸々ダメにしちゃって。全部が私の責任なのに
 気づいたら定時に帰らされてた。」

「…そっか。」



それ以上真人は何も聞かなかった。
私もそれ以上何も言わず、皿の上の料理にナイフを入れる。
フォークを自らの口に運ぶと、
すっかり冷めてしまった料理が何だかもの悲しい。

時刻は9時を過ぎたところ。
ちらほら周りの客も帰り始めて、
気が付けば店内は酔いつぶれたOLグループと、
私達だけになっていた。


「すごく怯えてるみたいやった。」

「え?」

「あの時の瑞来。」


グラスにワインを注ぎながら、
ふいに見せた真人の笑顔。
柔らかな円を描く口角に
あの後ろ姿が、あの声が、自然と重なる。


「せやから何かほっとけなくて。
 その後瑞来と出会ったときは
 何か芯の強そうな人やなって思ったけど。」

「……けど?」

「でも今思えば…あの時みたいに震える女の子は
 いつも瑞来の中にいたのかもしれへんな。」

「真人…」

「ごめんな…気づけなくて。」


そう言う真人は何だか泣きそうな顔をしていて。
それを見た私の方が胸の奥を締め付けられたような気がした。
溢れそうになる涙を必死に堪えようと俯く私に差し出されたのは
あの日と同じ、チェックのハンカチ。



「私も、ごめんね…」



真人の前で、これほどまで素直になったのは
どれくらいぶりだろう。

それまでの私は誰が見ても可愛げのない女で。
真人に側にいてほしいのに。
うまく言葉にすることが出来ずにいた。
離れていく心を繋ぎ止めるなんて出来なかった。
そんなのカッコ悪い。
勝手に決めつけたプライドと強がりが
ますます真人に対する態度を尖らせた。



「ごめんなさい…」





だけど、本当の本当はいつだって
素直になりたかった。
行かないで。
側にいてほしい。
ずっと、ずっと、私の側にいて欲しい。
たったこれだけのことがどうして言えずにいたのだろう。


「瑞来、もう一度やり直せへんかな?俺たち。」

「え?」

「俺もっと知りたい。瑞来の色んなところ。」

「真人…」

「もう遅い、かな?」


真人の真っ直ぐな瞳に、私は何も言うことが出来ず。
堪えきれない涙はとうとう頬をつたって流れ落ちた。

ずっと待っていた、こんな瞬間。

欲しかったのは運命の出会いより
奇跡の再会より
有り触れた幸福。



「あーあ。そんな泣いたらブッサイクになるで。」

「うるさいな。元からだよ。」

「ははっ。ま、ええわ。それより行こう?」

「え?どこに?」

「どこって決まってるやろ。1年記念のやり直し。」

「え…?」


テーブルには食べ終えていない魚料理が残っていた。
この後肉料理だって、デザートだって、
食後のコーヒーだって出てくる予定なのに。

それなのに

私たちは立ち上がると、
迷惑そうな顔をしたウェイトレスに精算のお願いをした。
OLはまた酒の注文をしたようだ。
店を出る瞬間、赤い顔をしたOLと
目が合ったような気がしたけれど。
私は構わず店を出る。


過ぎる車のライトに目を細める私の手をとる真人の大きな手。
あの日背中に触れた掌がこれだったかなんて
今となっては分からない。
それでも
驚いて顔を上げると、出会ったころのような優しい微笑み。




「めっちゃ高くて美味いの、見つかるとええな。」

「それならこの前の残りがまだウチにあるけど。」

「ワインやなくて。シャンパンだよ。」

「え?」

「言ったやろ。瑞来の色んなこと知りたいって。
 教えてよ。美味しいシャンパン。」

「……」

「な?」

「…うんっ」




初恋プロデュース。
忘れられない想いを繋ぐ、小さな奇跡。
同じ空の下、私を想う人は誰だろう。

少なくとも、今隣には心から愛する貴方がいる。
それはきっと何よりも大きな奇跡であり運命なんだろう。


東京タワーに照らされた空の下、
私たちは手を繋ぎ、歩き出した…。




end。。。