次の日、99通目の手紙はひっそりと上履きの上に置かれていた。


100枚目の
ラブレター
    
〜 いつの間にかの大きな距離 〜 


「管沢くんっ!」


8時25分。
玄関で待つこと15分。
耳にオレンジ色のヘッドホンをして現れた彼に駆け足で声をかけると、
寝不足なのか、不機嫌そうに瞳を細めるメガネの奥。


「咲月さん…なに?」

「おはよう。朝からごめんね。
 あの、この前言ってた手紙のことなんだけど…」

「えっ!?ちょっと!」


手紙。
私がそう口にした途端に慌てだした彼に引っ張られながら
人気のない階段の下まで連れ出される。
ご丁寧に、更に周りを見回し誰もいないのを確認した管沢くんは
さっきまでの態度が嘘のように、人の良さそうな笑顔で私に向き直った。


「聞いてくれたの?堀川さんに?」

「え?果楓?」


耳に届いた予想外の単語に思わず聞き返した私に
管沢くんは大袈裟なほど慌てふためいて。
再び辺りを見回すと、「静かに!」と言って人差し指を口元に当てた。


「ちょっと待って。何で果楓?」

「何でって、ちゃんと書いたろ?
 堀川さんとの仲を取り持って欲しいって。」

「ぇえっ!?」

「わっ!?ちょっ…咲月さん声デカいって!」


態度や表情、声色。
すべてにおいて激しく動揺している管沢くんを見る限り
どうやら彼の言うことに嘘はないらしい。

でもちょっと待って。
それって話が変じゃない?

あの手紙の主が管沢くんじゃないなら、それはそれでいい。
けど、じゃぁ管沢くんの言ってた手紙って?
果楓のことが書かれた手紙なんて、私は知らない。
あの日そんなもの下駄箱には確かに入っていなかった。

…一体どうなってるの?


「ね、ねぇ管沢くん。それどういう…」

「あ、やべっ。ごめん咲月さん!その話はまた今度。じゃ!」

「え!?管沢くんっ」


よっぽど聞かれたくない話だったのか。
それとも私と2人で居る所を見られたくなかったのか。
多分両方だと思うけれど。
とにかく管沢くんは友達の姿を見付けるやいなや、
まるで逃げるように階段を駆け上がって行った。

残されたのは大きな大きな謎。
何がどうなって…


「痛っ。あ、ごめんなさい。」


ぐるぐると考え込んでいた私は
階段を上ろうとして、前に立っていた人に思い切りぶつかった。

前を見ているようで見ていないのは
考え事をしている時の悪い癖だと果楓に言われたことがある。
分かってはいるんだけど、いざとなるとダメなのよねなんて。
頭を下げながらも思考は余計な方向ばかりを向いてしまう。


「ちゃんと前見て歩けよ。あぶねーだろ。」

「え?あ…」


ぶっきらぼうな物言いには聞き覚えがある。
オデコを押さえながら顔を上げれば
そこにはやっぱり。大きなスポーツバックを肩にかけた、渉の姿があった。


「吉森…おはよ。」

「はよ。朝から密会?やるじゃん。」

「えっ?…やだ!違うよっ」


一瞬何のことだか分からなかった渉の言葉が、
数秒の間を得て、管沢くんとのことを言っているのだと行き着く。
慌てて否定してみるものの、
そんな私をまるで興味ないとでも言うように
黙々と前を行く渉は振り向きもしない。


「あの手紙は…管沢くんからじゃなかったし。」


階段を上っているため、私の目の前にはスポーツバック。
大きくプリントされたロゴにぽつりと呟いた。
渉には誤解されたくない。そう強く思う。なのに。
渉はやっぱり小さく相づちを打つだけで、
私の話すら、まともに聞いてはいないみたい。

そういえば、最近渉の機嫌が悪い。なんて
クラスの女子が話していたのを思い出す。

挨拶しても笑ってくれないだとか、
手を振ったら無視されたとか。
私にしてみれば、
今までが愛想良すぎたとしか思えない程度のことばかり。
でも、他の子にも行き渡らない渉の愛想が
私の所にまで辿り着くはずもないと、少し寂しいけれど心の中で納得した。

2階の渡り廊下。
第1校舎の私は右へ。第2校舎の渉は左へ。
互いに口を利くこともないまま、2人は別々の階段を上っていく。

どうしてだろう。
少し前までは普通に笑い合っていたのに。
渉に何があったんだろう。
こんなに遠い今となっては、私には何も分からないよ…。








その日の放課後。
2年になってからもクラス委員を続けていた私は
相変わらず仕事を手伝わない男子の委員に代わって日誌を書いていた。

校庭の向こうに沈んでいく太陽が、大きく揺らめいてとても綺麗だ。
静かな教室内には、その柔らかに染まった日差しが入り。
校庭を走る陸上部や野球部のかけ声、
遠くからはバスケ部のドリブルの音が響いている。

私の席は窓際の、前から3番目。
校庭の見えるこの席が私は好きだ。
1学期の初めにクジ引きをして、
それ以降は年間を通して席替えのないクラスだから
この席を獲得した私は本当ラッキーだったと思う。

くるくるとシャーペンを回す指がページの1番上で停止した。
日誌で日付の次に記入する場所。
そこにはクラス委員の名前を書く欄がある。
去年私は毎日そこに自分と渉の名前を書き込んでいたっけ。

吉森渉。
咲月百。

そう並んで書くだけで、何だか幸せな気持ちになった。


「あ、まだ手紙見てないや。」


そういえば、手紙が届いていたことを思い出す。
今朝は何だか色んなことがあって、ポケットに閉まったきり忘れていた。
シャーペンを置いて、封筒の中から便せんを取りだした。
1年間変わることのなかった、真っ白いレターセット。

私の書いた返事は既に下駄箱から姿を消していた。
きっと、送り主が受け取ったんだと思う。
私の言葉はちゃんと届いたのだろうか?
だとしたら、その答えは書かれているのだろうか?

余計な緊張で汗ばんだ掌が便せんをぐにゃりと変形させた。
それでも加速していく鼓動が押さえられず、
私は最後の抵抗とばかりに大きく深呼吸すると
便せんに、恐る恐る視線を落とした。


『あの場所で、待っています。』


「…え?」


これまでも
とても、とても短い手紙だったと思う。
けれど今日のそれは更に輪を掛けて短い。

あの場所?
待っている?


「どういうこと?」


ふと、視界に入ってきたのは机の上。
散らばったプリントや、ペンケース、日誌に埋もれるようにして
控えめに映るそれを目にとめた瞬間、
私の中で遅すぎるほどゆっくりと。けれど確かに。
今1本の線で繋がったのは、紛れもなくこの1年の全てで。


「うそでしょ…っ」


気づいた時には教室を飛び出していた。



 to be continued。。。