「ずっと、好きでした!」


咄嗟に見てはいけないと、思った。


100枚目のラブレター
    
〜 知らない笑顔 〜 


毎日、私は始業の30分前には学校にいる。

何故だろう。特に理由はないんだけど。
朝の学校は静かで、どこか清潔そうで。
なんとなく好きだから。きっとそれだけ。

この日もいつものように、8時過ぎには廊下を歩いていた。
昨日遅くまで小テストの勉強をしていたから
少しだけ眠い。

誰もいないのをいいことに、
行儀が悪いけれど、大きな口を開けて欠伸。
これが気持ちいいんだよね。
そんなことを考えながら伸びをして、
涙で霞んだ視界を指でこすった。

その瞬間。

中庭を挟んだ向こう側。
第2校舎に誰かがいる。

私が人影に気づいたのと、
それが耳に飛び込んできたのは
たぶん同時だったと思う。


「付き合ってください!」


身体というのは実に正直で。
見てはいけないという理性の呼びかけよりも、
興味が先回りしていた私は、咄嗟に足を止めていた。

向こう側の校舎。
こっちとは違って、午前中は少し日当たりが悪い。
薄暗い廊下にたたずむのは2人の男女。
背の小さな女の子が、恥ずかしそうに俯いている。


「ずっと好きでした…吉森さんのこと。」


―――――?


欠伸をしたせいで瞳が霞んでいたからなのか。
とにかく私は気づかなかった。
女の子と向かい合って、照れたように髪をかく少しゴツイ手には
そういえば見覚えがある。

あれは…渉だ。

渉だと気づいた瞬間に、
私の身体を支配していた興味が
一気に不安へ塗り替えられていく。

知っていた。
渉がモテるということ。
ファンだって何人もいて、
きっとその中には本気の想いも沢山あって。

でも

知っているのと、実際に見たのでは全然違う。
渉が告白されているのを、私は初めて見た。


「あー、ありがとう。」


髪をかくのは照れている時の癖。
それも決まって右手なんだ。
今も、困ったようにだけどどこか嬉しそうに、
渉の頬には笑顔が張り付いている。

そんな顔、私は知らない。


「考えておいて貰ってもいいですか?」

「あ、あー分かった。うん。考えとく。」

「ありがとうございます!」


敬語を使うところからして、後輩だろうか。
渉のどこか曖昧な態度でさえ、彼女は嬉しそうに微笑んで。
真っ赤に染まった顔を隠すようにして階段を下りていくのが見えた。

残ったのは、私と。渉。


「…覗き見かよ。」

「…………気づいてたんだ。」

「そりゃ気づくって。」


私の知っている、あの悪戯っ子のような顔で、笑う。
それが嬉しくて。
だけど何だか苦しくて。
考えたくもないのに、
さっきの笑顔と、今のそれと。どっちが本当の渉なの?
…なんて、言えもしない言葉がぐるぐると頭の中を回り出す。

バカみたい。


「モテるね。相変わらず。」

「有り難いことに。」

「可愛い子だったじゃん。」


こんな時、嫌味しか言えない自分がひどく情けなくなる。
さっきの今じゃ、私の可愛げのなさが引き立つだけなのにね。

せめて、私の頬だったり。瞳だったり。声だったりが。
渉に対して少しでも可愛く映る風に働けばいいと思うけど。
残念なことに。
渉への気持ちを押し殺すばかりな私は
心だけでなく、身体さえも素直にはなってくれない。
あんな風に恥じらってみたりとか、そんなこと絶対出来ないみたい。
なんだかな。


「うん。1年生だって。」

「へぇー後輩にも人気あるんだね。」

「たまたまっしょ。」


どこからか取り出したのはカフェオレ。
ストローを噛むくせは相変わらずのようで、先が変形していた。
いつだったかのいちごオレとは違って、カフェオレは渉によく似合う。
コーヒーの飲めない私にとって、ほんの少しまた渉を遠く感じる瞬間。


「付き合うの?」

「んー断わる、かな。」

「あ、あーそっか。カノジョに悪いもんね。」


断わると聞いて、不覚にも緩んでしまった頬を隠すように
私は渉に背を向け出来るだけ素っ気ない言葉を投げた。

だけど、そんな私の決死の変化球にも動じない渉は
いとも簡単にそれを投げ返してくる。
でもね。渉のボールは直球すぎて、私には少しキツいみたい。


「カノジョなんていねーよ。」


ほら、また動揺しちゃうじゃん。


「へ、へーいないんだ。珍しいね。」

「珍しくなんかねーよ。ずっと…」


キーンコーンカーンコーン……


始業15分前の、チャイムが響く。
春特有の強い風が桜の木を揺らす音も、
集まり始めた生徒たちの騒ぎ声も、すべてを掻き消して。

それでも

渉の真っ直ぐな声は
私の元まで一直線に、届いた。


「ずっと、いねーよ。」


――――――…


「…………え?」

「………………」

「………わた」

「渉!おっはよー!」


思わず名前を呼びそうになったとき。
階段を上ってきた女子生徒が渉を見付け、
笑顔で駆け寄っていくのが見えた。

それと同時に
一瞬2人の間を流れた変な空気もどこかに吹き飛んで。
気づけば、辺りは登校したばかりの生徒たちが
流れるように廊下を突き進んでくる。
そんなことにも気づかないくらい、
まるで時間が止まってしまったみたいに私と渉は…


「じゃーな咲月!また教科書頼むよ。」

「えっ?あ、うん。」


気づけばさっきの女子に腕を取られた渉が
足早に教室へと姿を消していくところだった。
はしゃぐ女子に引っ張られながら、
また1つ、私の知らない笑顔を見せる渉がいる。

これが日常。
この距離が、いつもの私と渉。


「……………」


なのに

さっきのは、どういう意味だったんだろう?


「おはよ、百!何ボーッとしてんの?」

「あ、果楓。何でもないんだ、おはよ。」

「そう?ほら授業始まるよ?」

「あー!待ってよ!」


こうしてまた、変わらない1日が始まっていく。
果楓を追いかける背後で、始業のチャイムが鳴り響いた。




 to be continued。。。