「あれ?咲月?」

「吉森…どしたの?」


とある日の放課後。
珍しく窓越しでない君に、出会った。


100枚目のラブレター
    
〜 今はもう、遠い君 〜 


いくら春が近いと言っても、夜が近づくにつれ冷え込んでくる。
昼間との気温の変化に耐えきれず、
プリーツスカートから除く足には鳥肌が立つけれど、
そんなこともお構いなしに、私は暮れていく空をベンチに座って見上げていた。


「俺は居残りさせられてて。」

「ははっ、相変わらずだね。」

「うるせーな。優等生にこの辛さは分かるまい。」


どこかスネたような顔をする。
渉は感情がすぐ顔にでる、いわゆる素直なタイプだ。
ひねくれた私とは正反対で、ちょっとだけ羨ましい。
…そう思うのと同時に。
思ったことが他人にバレてしまうのはやっぱり怖い、そう思う私は卑怯者。


「まだ帰んねーの?もう5時だけど。」

「えっ、もうそんな時間!?やばー。」


確かここに来たのは4時過ぎだったはずだから、
気づけば1時間近くもこうして空を見ていたことになる。
そりゃぁ体も冷えるはずよね、と小さく溜息をついた。


「何?彼氏と待ち合わせとか?」

「違いますー。そんな人いませんー。吉森とは違うの。」

「うわっ、なんか最後の余計じゃね?」


渉とこういう話題になると、未だにひどく気を遣う。
真面目な空気にならないように。出来るだけ軽く流すように。
無意識にそんな風に言い聞かせている自分がいた。

もう私達が離れて1年近くが経つけれど。
あの日以来、渉は本当に友達として私に接してくる。

友達に戻ったんじゃない。
まるで初めから、何もなかったかのように。


「もうツボミになってんだな。」

「え?」

「ほら、桜。」

「あー本当だ。」


中庭の真ん中にある、大きな大きな桜の木。
毎年春には綺麗な花を咲かせる。
秋以来、葉を失って寂しい姿をしているけれど、
その枝の先には、しっかり春の足音を響かせている存在が。


「早く咲かないかなー。またお花見したいなぁ。」

「そういえば去年、ここで皆でメシ食ったよなぁ。」

「うん。…懐かしいね。」


去年の4月。
2年になってすぐの、暖かい日だった。

高校に入って初めてのクラス替えを終えたあの頃、
1年の時のクラスを恋しがってばかりいた私たち。
渉が皆に呼びかけて、満開の桜の木の下。
懐かしいメンバーでお昼ご飯を一緒に食べた。


「結局アレが最後になっちゃったよねー。」

「あー、何かまた食べようとか言ってたけどな。」

「すぐ暑くなって、
 外で食べる気しなくなっちゃったもんね。」

「夏はちょっとキツいよなー。」


普段ケンカばかりの私たちが
珍しく、穏やかに会話をしていた。
それが何だか私は不思議で。落ち着かなくて。

だけど、帰りたくはなくて。


「また、同じクラスになれたらいいな。」

「…え?」


ぽつりと呟くように放った渉の言葉が
やけに響く静まりかえった中庭。

私は自分の耳が信じられなくて、
それ以上に高鳴る胸が苦しすぎて、
思わず助けを求めるように渉へと視線を投げる。

渉は真っ直ぐと空を見つめていた。

男子特有の顎のラインが妙に綺麗で
目が、逸らせない。
そんな私の視線にも気づいていないのか、
渉の瞳は何だか悲しい色をしている気がした。
…けれど。


「そしたら廊下で教科書投げなくてもすむじゃん?」


真剣な瞳はほんの一瞬。
すぐに、いつものジャレつくような笑顔に戻った渉は
おどけたように、教科書を投げるフリをして見せた。

…なんだ。そういうことか。

ホッとしたような。
ガッカリしたような。

渉の一挙一動に振り回される私は
本当、終わっている。
何だか悔しくて、わざと目を合わさずにそっぽを向いた。


「同じクラスになったら、教科書の貸し借りなんて出来ないじゃん。
 同じ授業だもん。」

「あ!そっか!」

「まぁ私はその方がいいけどー。」


付け足した私の嫌味なんて聞こえていないみたいに、
渉は困ったように「しまったー」とか「そうだよなー」なんて
考え込んでいる。


「じゃぁ隣のクラスくらいでいっかな。
 そしたら借りに行きやすいし。」

「うわー、調子よすぎ。」

「ははっ。そっか?」


そもそも、どうして渉が私に教科書を借りに来ているのかが分からない。
だって、隣のクラスとか、
渉に教科書を貸してくれる人なんて沢山いるじゃない。
私じゃなくたって、いいのに…。


「でも、やっぱ同じクラスがいいなー。」

「え?そしたら借りれないのに?」

「うん。それでも同じがいい。」

「………っ」



それは



「な、んで?」


時々、この人の考えていることは本当に分からないと、思う。
気まぐれで、意地悪で、それでも優しくて。
その態度はひどく私を振り回す。
私を、期待させる。


「だって何か面白そうじゃん?」


まるで何てこともないような顔をして、
渉はいつもの悪戯っ子みたいに笑った。

だから、それじゃ答えになってないのよ。
それがどういう意味なのか知りたいのに。

喉まで出かかった言葉は、いつだってその笑顔の前では無力だ。
何だか馬鹿馬鹿しくなって、
私は小さく「あっそう」と言って空を見上げた。

きっと、渉にとって意味なんてないんだ。
ただ、思ったことをそのまま言葉にしているだけで。
私が勘違いするような意味なんて、ないんだ。


空はいつの間にかオレンジからグレーに変化していた。
校舎には1つか2つ、教室に明かりが灯っているだけで、
ほとんど物音すらしない、何だか不気味な迫力がある。

去年の4月。
皆でお昼ご飯を食べた日の、放課後。
あの日も私はこうして渉と空を見上げていた。

今よりも日が延びていたから、まだ少しだけ明るくて。
夕陽に照らされた桜の花がオレンジに染まってとても綺麗だった。


「じゃ、俺そろそろ行くわ。」


しばらくの沈黙の後、スポーツバックを手にとる渉。
座ったままの姿勢で見上げると、
立ち上がった姿は何だかとても大きく感じる。
そういえば、少し背が伸びたかもしれない。
あの頃は背伸びすればまだ追いつくほどだったのに。


「またな。咲月も気を付けて帰れよ。」

「あ、うん。わた…吉森もね。」


思わず「渉」と、呼びそうになった。
そんな私に気づいているのかいないのか、
渉は気に止める風でもなく、笑顔で手を振り歩き出す。
その遠くなっていく後ろ姿を私は黙って見送る。

一緒に帰ることの当たり前だった私たち。
今はもう渉の口から「送るよ」の言葉は出ない。

分かっている。
分かっていた。
そんなの、ずっと前から…。

ただ、ここで別れるのは未だにとても辛い。


1年前の4月。
あの日、私たちはオレンジに染まった大きな桜の下で。
キスをした――――――。




 to be continued。。。